「ロスチャイルド家」著:横山三四郎
ユダヤ人の陰謀だとか言う時には
ロスチャイルドがどうたらなどとくっついてくるものですが
実際のところはあんまり知らないもので読んでみた。
古物商というか、古銭を扱う商人として貴族に入り込んでいって
1代で足場を築いてのち、息子たちがヨーロッパ各地に散らばり
金融と情報ネットワークを確固たるものにするスピードは驚異的なものだ。
才覚は当然あるだろうが、時代背景として
産業革命から資本主義の萌芽の流れにうまく乗っていったのも大きいように思う。
実際、楽天の三木谷は一代で銀行を含む企業グループを作っているし、
こうした資本の蓄積スピードは時代が下る程早くはなっている。
政治との癒着関係というのも気になるところだろうが、
たしかに、ロスチャイルドが興った初期は貴族が居たが、
民主制が発展するほど、資本家が関与できる範囲は政体そのものから
政治家個人の単位へと限定されていく。
また、先に述べたように資本は今の方が流動的な動きをするようになっており、
ロスチャイルド銀行は突出した存在などということはない。
ただし、今もクローズドで家族的な経営主体を貫いているのは特色としてあるし、
ユダヤ人のための活動に陰に陽にと携わることはあるだろう。
しかし、文中で特に印象的だったのは
グローバルな資本であるゆえに紛争を防ぐために奔走する姿である。
それは資本主義のポジティブな要素のひとつとしてとらえていいだろう。
- 作者: 横山三四郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/05/17
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五人の兄弟が密着している肝心の国家がそれぞれ利害を異にして角突き合いを始めたためである。国境を越えて繁栄しようとするロスチャイルド家の利益は、国境という鎧を着けてその目的を追求する主権国家の利益とは必ずしも一致しない。その矛盾が表面化したのである。(p.81)
後段で保守的な勢力としての側面が非難されたともあるのだが、
それでも、殺さない、破壊しないという方向性は支持できる。
ぶどう園を隣り合わせに持つパリとロンドン両家の冷たい関係は二〇年も続いた。そして、一九七三年、ついに格付けの再検討(ボルドー・メドック地方)が行われ、ムートンは第一級に格上げされた。ほかの多くのワインについても検討されたのに、変更されたのはムートンただ一つだった。ロスチャイルド家の政治力が大いに発揮されたことは確かとみられているが、ともあれ半世紀にわたって土壌の改良と品質の向上に努めてきたフィリップ男爵の努力は報われ、ロスチャイルド家はついに二つのプルミエ・クリュを手中にしたのである。(p.30)
なんというか、
この負けず嫌いの感じは人間味があっていいエピソードと思う。
また、この競争関係が同族会社の中にあって活力を生んでいるんだろう。
「KPIマネジメント」楠本和矢
KPIというと意識高い系みたいな感じで気恥ずかしいのですが
組織の中ではある程度こいうキーワードを共通語にしながら業務を進展させるのが望ましい。
しかし、KPIという言葉だけでは無意味で
各社においてKPIが何に当たるのかを明確にして、
そこを共通のターゲットにしていくことが必要だ。
この本では概念の基本的な説明から
実際に導入した企業の実例の分析もしっかりしており
導入からブラッシュアップまで一通りの射程を持っている。
特にうまくいかなかった場合にどのような落とし穴がありうるかも説明がある点は
この本の実用的価値を高めていると思う。
どのような場合でもKPIはあくまで測定できる指標の一つであって
「あるべき姿」につながる「ストーリー」の中に位置付けられて初めて効果を発揮する。
ストーリーの練りこみと、チェック時にお手盛りのストーリーでなかったかの再確認、
この辺にコストをかけるのがひとつのポイントなんだろう。
- 作者: 楠本和矢
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事例はレアケースであってもよい。仮に類似のものがない、n=1のケースであったとしても、それがどのような心理メカニズムによるものかについて推論を進めていくと、実は汎用的に展開できるヒントが隠れていることもよくあるからだ。(p.72)
これはなかなかハッとさせられる視点ではある。
しかも、こういうレアケースを汎用化するプロセスの中でこそ
差別化への推進力が発揮されそうな気がする。
まだ見えていない相手の心理、即ちインサイト(隠れている感情、本音など)を辿ってみる。そのインサイトのレベルで見てみると、実は同じ理由から複数の課題が生じていると気づくことが多い。まさにそれこそが攻略すべき点、作るべき「あるべき状態である」(P.68)
逐次的な対応ではなくて、
より波及効果の高いポイントを探すのが
マネジメントという職務の根本でもあろう。
「夜想曲集」著:カズオ・イシグロ 訳:土屋政雄
イシグロは語り手の人称を意識しながら巧みに
遠くへ連れ出す誘拐犯である。
この短編集でもその読者攫いの技量はいかんなく発揮され、
今回は遠くではないかもしれないが、
壁ひとつ向向こう側の、見えずに漏れ聞こえていた物語へと誘われる。
音楽と夕暮れの物語、と記されたサブタイトルは
余韻について考えさせる。
鳴り響いた反響は楽曲が終わった後も別の揺れを揺らしている。
呼び起こされた拍手たちと輝く星空のきらめきは
別の大きな輝きの終わりによってもたらされている。
それぞれの人生の余韻であるように見える5つの物語ではある。
しかし、夜もただの1日だ。
生きる人にとって物語の前も後もない。
シンプルにセンチメンタルな匂いであっても
どれもポジティブな愛を感じる。気持ちのいい読後感である。
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)
- 作者: カズオイシグロ,Kazuo Ishiguro,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
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結局、ぼくはまた同じ間違いをしたわけだ。ヘンドリックスへのなり方が足りない。
ぼくは四つん這いになり、雑誌に向かって頭を下げると、そのページに歯を食い込ませてみた。ちょっと香水のような香りもあり、不快な味ではなかった。(p.109)
「降っても晴れても」から。友人の家で留守を任されている時に部屋を汚してしまったのを犬のせいにしようとする主人公が割と真面目にまぬけで笑いそうになるが、必死すぎて笑うのも悪いような気分になる。
リンディの体が、前のように音楽に合わせて揺れはじめた。だが、今度はバースを過ぎても止まらなかった。むしろ、音楽が進めば進むほど、われを忘れて溶け込んでいき、両腕までが架空のパートナーに向かって差し伸べられた。終わるとプレーヤのスイッチを切ったまま部屋の端に立ち、おれに背中を向けてじっと動かなかった。ずいぶん長くそのままだったように思う。ようやく振り向いて、ソファーに戻ってきた。(p.220)
「夜想曲」から。これもユーモラスなシーンが多いが、
このリンディの姿は全体を通して見えるイシグロが描こうとした姿ではないかと思う。
「小さな会社のはじめてのブランドの教科書」著:高橋克典
ブランドは小さい会社こそ大事にしようという話ですね。
特に今は検索性が高くなっているので、
何かオンリーワンであれば検索された時にもオンリーワンです。
方向性として、地域性を出すことも示唆していますが、
地域性はそれ自体が記名性の高い検索タグになります。
もちろん、その中に競合がないわけでもないでしょうが、
世界中でオンリーワンである必要もないわけです。
ただ、細部としてみるといまいち体系化しているわけでもないし
個別の事例が少なくもないが、多くもない。
ちょっと総花的で食い足りないかなという気もしました。
これ一冊でぜんぶわかる! 小さな会社のはじめてのブランドの教科書
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ブランディングは、会社の方針や将来への方向性を明確にしてくれます。そしてブランディングで社員のベクトルが同じ方向に向けば、人間関係のトラブルも減ります。(p.8)
未然に減らせるかはわかりませんが、
少なくとも公平なジャッジをしやすくなりますよね。
明言されていない部分でも指針があれば、動きやすくなるというのはあります。
ただ、それは具体的に社員がそのような方針で動いていると
実感しないといけないのでここのマネジメントが社長には求められます。
中小メーカーなら、できるだけニッチな部分を手がけると、スイッチングコストが高くなり、発注元はおいそれとメーカーを替えられなくなります。このスイッチングコストをいかに上げるか?が、OEM生産で高い利益率を確保し続ける一つのコツと言えるでしょう。(p.72)
ここはひとつの肝になる部分。
ただ、ニッチな商品を作る以外にもスイッチングコストの上昇には方法がある。
そうしないと、ニッチな商品は需要構造の変化が変わった時に脆弱だから、
ニッチさだけを追求するのはリスクが高い。
「一発屋芸人列伝」著:山田ルイ53世
ネタ見せ番組というのはなんというか、
バラエティが行き詰まった時に代わりの突破口として現れ
一発屋芸人はそれとともに社会に溢れ出た。
売れるべくして売れたというよりは
売るものがない中で、探し当てた一つの水脈が噴出したという形で
社会構造というか、マーケティング的な情勢の中で巻き起こった現象に思える。
この本は、著者自身一発屋芸人として、一発屋芸人にインタビューしている。
こういう形での語りと聴き取りはほっておけば消えてしまっただろうから
とてもよい企画だと思う。
本人の努力もなければそもそも板の上に立てないのだから、
みんな頑張っている。それでも、前述の通りの印象から
社会現象に巻き込まれてしまった人のようにも見える。
それが、このミクロな聴き取りでは非常に多様で自由なあり方が見える。
最終的にはやはり翻弄されてはいるんだけれど、
どっこいそれでも生きている、という感じのするこの
一冊はとても民衆的な芸能風俗を描いている。
少々ベタなツッコミも多いが、その辺も含めて、
軽さが翻弄される僕ら自信を少し楽にしてくれる気がする。
- 作者: 山田ルイ53世
- 出版社/メーカー: 新潮社
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「一発屋の人なら分かると思うんですけど……」
道連れにしたいのか、会話の合間に時折差し込む波田。
(共感したら終わりだ!)(p.139)
ギター侍とのサスペンス溢れる会話。
「失敗して、『見えてしまった!あちゃー』……やるのは簡単ですけど、それをやると僕の場合、先がない気がする。どれだけ見せずに色々遊べるか……そこを突き詰めたい」
頑固な職人、あるいはアスリートと話しているような錯覚を覚え、無意識に背筋が伸びる。(p.184)
とにかく明るい安村の話だが、全般的にそれぞれのプロ意識が垣間見える。
お仕事本としては外せないやつです。
「人文学と批評の使命」著:E.W.サイード 訳:村山敏勝・三宅敦子
もはや教養というものが欲されることも求めらることも少なくなっている。
そうした中で人文学の擁護者であるためにはいったいどのような資格がありうるだろうか。
サイードは文化的でありながら政治でしかありえない領域で闘ってきた人だ。
この本はしたがって、ただの文学史の概観などではなく、
現在も熱を持っている地点でのレポートのようになっている。
安易な言辞への逃避を許さない彼の姿勢は
抵抗するそのまさにその場所が人文学の領域であることを示している。
何から抵抗するのか?
優しい死と絶望に抵抗するのだ。よく生きるために。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,村山敏勝,三宅敦子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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変化こそ人間の歴史であり、人間の行動によって作られ、それに従って理解される歴史こそが人文学の基礎である。(p.14)
反響する歴史のイメージ。
平凡なものと非凡なものを、並みのものと特異なものをより分けられることこそ、人文学的学識、読解、解釈のしるしである。人文学とはある程度、紋切り型への抵抗であり、ありとあらゆる類の月並みな考えや頭が空っぽの言語に抵抗する。(p.53)
この「選り分けられる」というのは実は問題をはらんでいる。
しかし、それは不用意であるというのではなくて、ここにしがみつかなければならない。
正典作品を読み、解釈することは、それを現在において蘇らせ、再読の機会をもうけ、現代の新たなものを広い歴史の領野へと位置付けることであり、この領野の有用さとは、歴史をとっくに完結したものとしてではなく、いまだに闘われ続けている闘技の場として示すことなのだ。(p.30)
ここでキャノンはバッハに見られる音楽的意味合いを引き出されている。
繰り返し、重ね合わせられる声と響き。
「わたしたち」という代名詞の戦略配備は、抒情詩や頌詩、葬送歌や悲劇を作る材料でもあり、だから責務と価値観について問うこと、プライドと以上なほどの横柄さについて問うこと、驚くべき道徳的盲目さについて問うことは、わたしたちの人文学者としての訓練からすれば当然である。(中略)どこかでじっくりとわたしはこの「わたしたち」ではないし、「あなたがた」がやることはわたしの名前でやっているのではないと、述べることができなければならないのだ。(p.99)
どこかでじっくりと、というのはユートピアのような感触だが、
隠れ家的なバーでしっぽりというわけにはいかなさそうだ。
頭においておくべきは、べつの言語が使えるわけではないこと、わたしが使う言語は、国務省や大統領が、人権やイラク「解放」戦争を唱えるときの言語と同じものであるしかないことだ。だから、わたしはその言語を使って、主題を捉えなおし、主張しなおし、圧倒的に有利な立場にある敵たちが、とてつもなく複雑な現実を単純化し、裏切り、ときには貶め解消すらしているなかで、現実に結びつけなおさなければならない。(P.164)
結びつけるものは想念ではない。
現実的な闘争として言葉はメディウムの役割を果たす。
そのようにする時に見せる手つきが人文学の手技として示されてきたものだ。
「知りたいレイアウトデザイン」著:ARENSKI
古い入門書は持ってたけど、
必要もあったので、最近のものを入手。
基本的な考え方やルールをわかりやすく明示するだけでなく、
似た素材を違うアプローチで作るとどうなるかという比較が多くて、
手法の選択にとても役立ちます。
また、レイアウトのパターンの中には紙モノ以外にも
web媒体を意識したレイアウト例もしっかり抑えてある。
こういうサンプルが多いものだと自分の実作だけじゃなくて
企画のすり合わせの時に、「それってこういう形でいいですかね」
と提案しやすいのでありがたい。
初心者でも制作しなくちゃならない、そんな人への強い味方になる本ですね。
- 作者: ARENSKI
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2017/11/21
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何を伝えたいのか明確にしないままだとターゲットの心に響くものをつくることはできません。しかしながら、伝えたいことを明確にすることは簡単ではありません。なぜなら、多くの場合「伝えたいことを絞れない」「伝えたいことの優先順位を決められない」という悩みにぶつかるためです。(p.16)
ここから書いてくれているのは、実践的であることの証明とも言えるでしょう。
ただのテクニック本ではないのです。
中央揃え
センターに情報を集めて、上から下に目線を誘導させます。繊細さや高級感を感じさせたいデザインに向いています。また、画像の形状に動きがある切り抜き写真と相性がよいのも特徴です。(p.45)
おお、言われてみれば確かにそうかも。
当たり前になんとなく選んでいたものに理由がくっつくのも面白い。