ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

瀧口範子『行動主義 レム・コールハースドキュメント」

ほとんど分裂症気味に動き回るコールハース
「錯乱するニューヨーク」で自身が描いたように
錯乱を生きているかのようだ。

隈研吾もそうだったが、
現代の建築家とはそのような生き物なのだろう。

しかし、ドキュメントと書いてあるが
ジャーナリスティックなものというよりも
これは徒弟制度における弟子のまなざしを本にまとめたようなものだ。

近くにいることは許されるが
言葉を交わす機会は限られている。
そこで何を盗むか。
姿勢とその足跡、
その手業がその人のものである理由を。

いやはやこれによって読者は
簡易的ながらもコールハースの弟子足りうるのであって
これは素晴らしいことだ。
何せ実際にコミットして、疲弊しきってからでは大変だからね。

建築家としてだけでなく
巨大なビジネスをリードする実業家、
そして巧みなコミュニケーターとしての
それぞれの側面がよく見えてなかなかの良書ではある。

ただ、せっかくなのでもうちょっと
建築についてのフォローがあってもいいかなぁというのは個人的には感想。

「こういう適当な絵を描く人間は、仕事の不満を夜酒を飲みに行って晴らそうとするんだな。そういう不満は、絵を描いていく中で解消できないとダメなんだ」(p.111)

何よりもコールハースは、ある意味では自分の非ネイティブ性を武器にして言葉を巧みに操り、枠にはめられた正しい英語の退屈な言語レベルをはるかに凌駕するのである。(p.204)

近くにいるからといって機会に恵まれるわけではなく、遠くにいるからといって機会に阻まれるわけでもないというのが、現代の世界で起こっていることかもしれない。だがそうしたことが起こるのは、世界が抽象的にグローバル化しているからではなく、コールハースのように世界の都市をコネクトする人物が存在しているからだ。(p.221-222)