ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「南ア共和国の内幕」著:伊藤正孝

古い本なので現状の話にはならない。
ただ、それでも読むに値する。

どのように差別が起こって
どのように維持されていくのかのひとつのケーススタディ

差別は制度と社会的規範によるところが大きいだろうが
個別の差別構造は歴史的なものと分かち難くある。
このレポートは十分とは言えないまでも
そうした視点も持ちながら当地の人々の声を集めている。

しかし、何よりも自分の動揺までさらけ出して
より誠実なレポートであろうとした点が評価できると思う。

日本人が所詮有色人種で、
差別される側であったことをこんなに
強く感じさせられたことも久しぶりである。

事実ある日本人駐在員の奥さんは、デパートのエレベーターで「中国人が来た」というささやきが起るたびに「ノー、私は日本人よ」といい返したという。気丈な彼女はそれを三年間実行した。だがその言葉の裏には危険な意味が潜んでいる。「私はいやしい者ではない。人間以下でしかない中国人や黒人と同等にみないでくれ」(p.34)

南アには三つの黒人大学がある。だから大学を出ることは不可能ではない。かりに地方生まれの黒人少年が苦労して大学を出たとしよう。しかし彼は就職口をみつけようとする段階でパス法にはばまれる。原則として都市への移住が禁止されているうえ、下層労働者しか白人は受け入れようとしないからである。もう一歩さがって、彼が下層労働者に甘んじて移住許可をとったとしよう。もう一つの壁が立ちふさがる。「職業確保(ジョブ・リザーベーション)」とよばれる地方条例である。この場合の「確保」は白人のための確保であり、つまりは黒人の締出しを意味する。(p.101)

能力についていえば、黒人はまさに優秀だから差別されるのである。南アの白人はよく知っている。黒人を少し教育すれば、自分たちと同じ能力にらくらくと達することを。その結果、職業や経済的地位を奪われることを。だから職業確保制(ジョブ・リザーベーション)が必要なのであり、黒人は先天的に知能劣等という神話を必死にぶちあげる。(p.163)