「親鸞」著:野間 宏
浄土真宗の開祖である親鸞を語ろうとしているようであるが、
どうも、当時の社会的な要請から親鸞で語ろうとした本のようである。
1973年という出版年は政治の時代であったと思う。
とは言っても、それによって歪められた骨子はなく
単に細い道を歩くだけの本だ。
しかし、そんなか細く長い道を歩こうとしなければならない時代だったのだ。
末法の世というのが仏教を捨てる世界のことではなく、
形を変えてでも残るべき仏法の救いがあるという見方は目から鱗だ。
人はどんな世界でも救われ続けるだろう。
それ自体が人間の業であるにしても。
本の出来としては微妙です。
言うべきことの核はしっかりしていますが、
論の道筋は緩めで手当たり次第にぶつかっているように見えてしまいます。
- 作者: 野間宏
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1973/03/29
- メディア: 新書
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閉ざされた壁を打ち破って、その境界を越えるすべを見出すことがなければ、このすべての人間は救いから見離されたものとするほかなく、それを救いえないというのでは、もはや仏といわれるものも仏ではありえず、そのような仏は捨て去るほかないということになる。そして、親鸞は仏をしてその境界を越えさせるのである。(p.38)
熱烈な原理主義の匂いを感じる。
まぁ、原理主義でない宗教は株式会社と特に変わらんだろうけど。
それでは親鸞がそれまで寺院などで用いられていた阿弥陀三尊の絵図をすべて捨て去り、そこにただ「南無阿弥陀仏」「南無無碍光如来」などという言葉だけが書かれている掛軸を掲げることにした、その重大な意味をまったくとらえることのできないところへと落ち込むほかないだろう。親鸞は旧仏教のなかにあった呪術的なものを徹底的に排除しようと全力を傾けたのである。(p.76)
ここにある神秘主義の拒否というのはおそらくクリティカルな問題。
ただ、本書では深く取り上げられない。よく引かれる曾我量深をあたる方がよさそう。