ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「ベルルスコーニの時代」著:村上信一郎

派手派手しいスキャンダルまみれになって退場した人、
そんな程度の印象でベルルスコーニのことを覚えていた。

しかし、そもそもどうやってそんな乱痴気騒ぎをするような人が
大統領になったりしたのか。

本書はベルルスコーニを通してその時代の
イタリア政治状況を描くもので、実業家時代から追ってくれるが
ライバルの左派の動向や混沌としたマフィアとの関わりなども詳しく書いてくれている。

さて、中身だが、
ポピュリストというにはあまりにもダーティな話が多い。
収賄だけでなく、マフィアを使いながら、
使った下っ端をさらに別にマフィアに消させたり。
法律も特定の仲間を守るために作るなど、お手盛りの手法が目立つ。

恐ろしいのはそうした素性は見えてきたはずの中でも
2度目のベルルスコーニ政権へと2001年に復活を遂げるところだ。
本書ではそこに民放TV局を牛耳る彼のメディア戦術の浸透力の強さを見て取る。

すでにスキャンダルにまみれた状態から政権を取るという
ゾンビのようなベルルスコーニの時代はセックスで終わる。

最初は17歳の少女との援助交際、彼女の夢は国会議員になることだったらしい。
次に自分のテレビ局から選んだ十人の美女を議会選挙に出馬させようとして
その際に、ベルルスコーニの妻から離婚を要求されるという騒動になる。
最後はプロの娼婦とのスキャンダルだが、これは娼婦の側から暴露されたのであった。
なぜか。
彼女は選挙応援を約束されていたのに、ベルルスコーニが支援をしなかったからだ。

要するに、全部セックスで議員になるという話だったのであって
ただのセックススキャンダルというにはあまりにも不純である。
そして、これが応援母体であるカトリックの逆鱗に触れて政治生命は潰える。

マフィアとの癒着では落選しないのにね。

むろん、ここに至るまでに南北の経済格差や、
宗教の分布の仕方、また、歴史的政治状況などが複雑にからまってはいる。

しかし、なんというか、
21世紀になって民主主義は舐められているのではないかと暗澹たる気分になる。
しかし目を背けず、記憶するべき時代なのだとも思う。

マフィアのような犯罪結社がこうした政治家たちの庇護の下で事実上の「治外法権」を享受してきたことは、もはや秘密でも何でもなく、すでに誰もが知っている事実であった。それゆえ、有権者が救いようのない絶望感に襲われるのも、ある意味では当然のことであった。いいかえると、このような究極の政治不信のなかで、北部同盟の荒唐無稽な「扇動」が効果的に機能する環境は、整えられていったのである。(p.102)

扇動とは俺たちの税金が南に使われるのはおかしい、独立しよう!というやつです。よく聞きますね。

自らに誇りを持つ民主主義国であるならば、たとえどんな国であれ、次の総選挙でまちがいなく首相となるとされている人物が、今も捜査の渦中にあるということなど考えられもしないであろう。しかも、どんな容疑かといえば、資金洗浄、殺人の共犯者、マフィアとの癒着、脱税、政治家や判事、財務警察への贈賄といったものなのである。(p.215)

これはイギリスの「エコノミスト誌:2001年4月28日号」からの言葉だ。
これを嚆矢にイタリア国内の知識人も打倒キャンペーンを行なうが、当選を許すことになる。