ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「魂の燃ゆるままに」著:イサドラ・ダンカン 訳:山川亜希子・山川紘矢

20世紀初頭活躍したアメリカの舞踏家の自伝です。

このタイトルはやや扇情的な書き方ですが、
実際に恋多き女性としての側面も割とあからさまに
そしてさっぱりと描かれています。

なんというか、決してカジュアルセックスなんかではないのですが
ゼウスが女神と交わるくらい、ごくさりげなくかつ必然的に関係をもってしまいます。

それだけでも、すごいですが、
6歳の時に赤ん坊にダンスを教える教室を始めてから
10歳でふつうの学校をやめて自分のダンス教室で稼いで
18歳の時にあてもないのにサンフランシスコからシカゴに飛び出す
こんな無鉄砲な生き方があるものかと、最後のロシア行きまで常に驚かされます。

ただ、恋多き女性には
どうしても別れの悲しみも多くなり、
後半はその悲しみがはっきりと地の文にも溢れていく。
しかし、それでも彼女は踊ることをやめなかった。
そのことは強い印象を与えてくれます。

また、この本はロダンスタニスラフスキーなど
20世紀前後の芸術家の顔ぶれが色々と出てくるので、
時代の空気を感じる楽しみもあると思う。

魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝

魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝

彼が私にキスしたいという思いを抑えきれなくなって結婚を申し込んで来たとき、私はこれこそ人生でもっともすばらしい恋になるだろうと、信じたのだった。
しかし、夏が終わりかける頃には、私たちは完全に一文無しになってしまった。そこで、私はシカゴには期待できないので、ニューヨークに行かねばならないと決心した。でも、どのように行けばいいのだろうか。(p.42)

どのように行けばいいのだろうか、じゃぁないでしょ。
いや、お茶目さんである。

王立劇場での公演があった夜、眠ることができず、一人でアクロポリスに行ったことを覚えている。私はディオニュソスの円形劇場に行き、そこで踊った。これが最後だと思った。そのあと丘に登り、パルテノン神殿の前に立った。突然、今までの夢のすべてが輝く泡のようにはじけ、自分たちは昔も今も現代人でしかありえないということがわかった気がした。私たちは古代ギリシャ人の感覚を持つことはできなかった。(p.169)

これは挫折ではあっただろうが、制作においてなにかの妨げになったようには見えない。
この後も続けざまに講演旅行を続けていく。
表面上は否定形で語られているこの文章は一方で
彼女の肉体によって肯定的な意味を持ったのだろうと思う。