ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

『トリエステの亡霊』著:ジョーゼフ・ケアリー 訳:鈴木昭裕

須賀敦子の「トリエステの坂道」以外にこの場所について何も知らなかった。
須賀の作品では詩人のサーバがいた、というくらいしか覚えがなかったのだが、
「サーバ、ジョイス、ズヴェーヴォ」というサブタイトルの並びでなんとなく手に取った。

今なら聖地巡礼と言っていいような内容。
いや、聖地巡礼は作品で描かれた場所をめぐることをメインにするが
ここでは、むしろ作家たちがここで考えをめぐらし
インクを引っ掻き回していたということのほうにフォーカスがある。

サブタイトルの三人は1905年から1915年の間にこの都市にいた。
筆者はその足跡を追おうと、トリエステの街を歩き回る。
しかし、それほど報われたようには思えない。

そもそも何をしたら、巡礼は報われたことになるのだろう?

視線は現在から歴史へと向かう。
トリエステという地中海の小さな港町は支配者が入れ替わりながらも
その中でしたたかに、生き延びてきた。

その歴史を示す建築や美術品など図版も美しいが、象徴的なのは地図だ。
地図の枠外には飾りが凝らされ、その時ごとの街への願いが顕れる。
通りの名前は書き換えられ、付け足される。なかったモニュメントが書き込まれある時は消え去る。

地図は場所と場所をつなぐ。
著者の試みは初めから徒労に終わる運命だった。
時間を逆向きに歩くことはできないのだから。
しかし、地図を確かに描いたというささやかな満足感で終わっているように思う。

ひたすらな愛に、オタク的シンパシーを感じる。

ラウラ・ルアーロ・ロゼーりの『トリエステ案内』は、五百ページを超す、でっぷりとしたみごとなできばえの「ポケット」ガイドだ。(中略)何かをするときには、たいがい彼女のアドヴァイスに従った。路上で読み、食事中に読み、ベッドの上で読みふけった。(p.32)

現地に来て、ポケットガイドに従うなんていうのは、
軟弱さでもあるように思うけれど、やはり僕も目を通すだろう。
敬意を示すための従順さというか。このざっくりした小市民感がチャーミングだ。