ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

『名指しと必然性』著:ソールA.クリプキ 訳:八木沢敬、野家啓一

同一性について考える手がかりがあると思って、読んでいったが
固有名の指示とは何によってその固有性が担保されているのか、という問いだけではなく
一般的な指示語についても語るし、指示語との必然的なつながりと
アプリオリな繋がりなど思った以上に丁寧な議論である。

話としては非常にややこしいものではあるけれども
クリプキはかなり段階を踏んで腑分けをしているので
そこから先に行くまでの分類、見取り図としての力を持つ書物であるのは間違いないところだと思う。

この手の難解な書物では訳者解説などに助けを求めたいところで
今回のあとがきも哲学的な潮流の中での位置付けを行なっており
十分にサポートしてくれている。
しっかりとした参照点になる書物と思う。

たとえば、アリストテレスはそもそも存在したか否かと問うことによって、その名前はいったい指示対象をもいつのかどうかという問題を提起してもよい。この場合問われているのは、この物(男)が存在したかどうかということではない、と考えることは当然だと思われる。われわれがひとたびその物を捉えてしまえば、それが存在したことを知っているのである。実際に問い糾されているのは、その名前にわれわれが結びつけている諸性質に照応する物があるのかどうかということ(p.32)

指示対象が所定の性質を持たないとした場合に、そもそも指示自体が不成立になってしまいかねない。
にも関わらず、このような言明が可能であるなら所定の性質とは独立に指示が成立している。
これが一つのテーゼだ。

これは実在が属性の集合によって成り立ってないということでもある。

辞典のこの記述を満足するものは何であれ必然的に虎である、ということは真なのだろうか。そうではないと私には思われる。ここで記述されたような虎の外見をすべて備えてはいるが、内部構造が虎とは全く異なる動物を発見したとしよう。(中略)虎にそっくりに見えながら、調べて見ると哺乳類ですらなかったことがわかるような動物が、世界のどこかで発見されるかもしれない。それらは実際は、極めて特殊な外見をもつ爬虫類であったと仮定しよう。その場合、この記述に基づいてわれわれは、何頭かの虎は爬虫類であると結論するだろうか。しないのである。(p.142)

面白い思考実験である。これは固有名詞だけでなく、ある種のカテゴリーについての指示について話している。循環論法でないかは非常に微妙に見えるが、言明による指示は支持されたと同時に先立って成立する内容があるようでもある。

一読してスッキリ分かるというものではないが、とてもスリリングなところのある本だ。