ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

『思想をつむぐ人たち』著:鶴見俊輔 編:黒川創

1922年生まれの知識人である。
戦争をしっかりと焼きつけた世代だ。

しかし、そのために考えた人ではないと思う。
もっと柔らかく、生き残った人々の、
生き続ける人々と共に考えようとした人だろう。

この本には多数の人物評が記されている。
洋の東西を問わず、けれど、近現代の何か重なるような人びとについて。

その書き振りは中に乗り移るようなことはなく
あくまでも、違う個性の人間として眺めていて
それゆえに個性を尊重しようとする意思を感じる。

この優しい寄り添い方が、
苛烈な時代を過ごした後に生まれたということを考えると
鶴見の芯の強さをかえって感じさせる。

言葉の喋れない者は知恵のない者だという、そういう信仰を片っ方が持っていることがわかった。知恵とは、そんなものではないのだ。(p.25)

これは自身のアメリカの寄宿舎での体験。十分に強い宣言だが、この後に別のエピソードをすぐに繋げる。

私の子供が、幾つの時だったか、遊びをやめてやって来て、「お父さん、お母さんが死んだら、僕はどうなるんだ」と、ものすごい恐怖をこめて言う。私は、「いや、死んだらこの頭の後ろの熱い感じになって残っているから、いつでもいるから心配ないんだ」と言った。それはうそじゃない。私が、今もっている感覚だ。(p.25)

これは純真な問いと哲学との接近について語る文脈であり、
本編はネイティブインディアン(いや、この言い方もよくないのだったか)の知恵と生き方についてだった。

どちらもただの例示である以上に、
なぜ鶴見が言葉を費やしているかの
ひっそりとした答えになっているように思う。

彼は強い確信を持っている。
けれどもその確信のために書くのではない。
その優しい手つきが鶴見を信頼に足る書き手だと分からせてくれる。