ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

記号・ジェンダー・女子高生(漫画話。前編)

漫画は言うまでもなく記号だ。
いかに写実的なタッチであったとしても、
精密な記号でしかない。


現実の何かを指し示すというのではない。
私たちがイメージしている何かを呼び出すためのボタンである
という意味合いで記号だ。


*** 脱線 ***

東君の「動物化するポストモダン
(この言葉自体コジェーブの引用だが)
というのはその脊髄反射的なシステムを指してもいる。
僕はバタイユの「水の中の水」という言葉が
「動物」にはよりしっくりとくる。

*** 復帰 ***


記号化は漫画に限らずあらゆる分野で起こるが、
誰もが確認できる形で流通するということは
記号化したものが「呼び出されるもの」にもなるわけで
漫画は記号以上の何かである。


それ故に、同じく社会問題として記号を扱う
ジェンダー論にとって漫画は無視できない存在だと思う。
(僕はその研究家でもなんでもないが)


ここに二つの漫画を紹介する。
好奇心は女子高生を殺す」(以下、「好奇心」)

ササミは心配中毒
(以下、「心配中毒」)


二つとも女子高生二人が主人公となっている。
「好奇心」は天然少女としっかり者の女の子の
王道百合にファンタジックな要素を足すことで生臭さを抜いて、
ありえなかった純粋な青春を見せてくれる。


「心配中毒」はBowシリーズを知っている人なら
懐かしい現実の看板などをいじり倒す会話劇で
こちらには百合要素はほとんどない。
最近ツッコミ役もボケ倒して来ている。
ネタの軽い捌き方がいい。


二つとも好きな漫画なのだが、
ここで二つの作品がなぜ女子高生なのかを考えたい。


まず年齢を変えるとどうなるか。
女子小学生であったら、コナンの少年探偵団くらいのイメージだとどうか。


「好奇心」にあっては、おそらく成立するだろうと思う。
ただし、現実との折り合いを付けなければならない、という
ドラマを作る時には小学生は「現実の生活」から遠いのだと気づく。
家を出て、一人で生活する日を考えたり、
その時にいて欲しい友達のことを想うのは、小学生ではない。


「心配中毒」については
ガキのたわ言感が出過ぎて、
ツッコミが上滑りになる危険がある。


逆に年上だとどうか。
女子高生より上の年齢で言えば、女子大生、OL、主婦、
子供が独り立ちした後(40後半以降)、老境
あたりまで記号的に扱える範囲でもだいぶバリエーションがあるけれど、
学生という変数を統制したいので女子大生で考えよう。


「好奇心」に関してはこれも現実との距離感の問題がある。
今度は現実に近すぎる。
また、描こうとしている友情が
一途で純粋すぎるのもそぐわない。


*** 注釈 ***

大学生に友情がないというのではなくて
大学生という記号から僕がそう思ったということです。
記号の全体世界における対応物(シニフィエ)は
個人が確認できる形でないので、ここは危うい推論の積み上げになります。
これはこの稿すべての問題点です。
ただし、結果としてある記号が選ばれているのは事実で
そこから逆算して考えることは
「再生産されるシニフィエ」としての漫画を捉える役に立つはずです。

*** 注釈終了 ***


「心配中毒」が女子大生ならどうか。
これは行けると思うが、現在のテイストでそのまま行ってしまうと
登場人物への苛立ちを高めてしまうかもしれない。
女子高生は女子大生に比べて聞き流してやれる範囲が広がるというか、
有り体に言えば軽んじられる。


ここまで年齢の記号は
「ドラマ内の現実的なものとの向き合い方」
「読者がどのようにセリフを受け止めるべきかの提示」
こうしたものを含んでいると言えます。

ではいよいよ、男性に変更したらどうなるか。
トイレ休憩を挟んで書きます。