ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「新しい中世」著:田中明彦

世界システム論というのは大仰でやや胡散臭い。
しかし、その印象を超えて説得力のある論を展開してくれた。

何より本書の初出は1996年で20年も前であるにも関わらず
今もその射程が先を照らしているというのが力強い。

ここで想定されている「新しい中世」の特性は一言で言えば
多様なアクターによる相互依存を前提とした世界だ。
そこでは国家のコンフリクトによる大規模なものよりは
小規模な衝突のほうが起こりそうな世界が想像されている。

ただ、この著者の本当にえらいところは、
こうした世界に移行しつつあるのであって、
こうした世界が一気に来るという主張はしないし、衝突の規模においても、
どこまでありうるかという条件付けについてきちっと押さえている。

方法の限界をわきまえるというのは
知的誠実性にとって、とても重要なことだ。
そうしたさまざまな制約と限定を越えて
それでも言えることは確証を持って言うというのはとても好感がもてる。

九・十一事件を引き起こしたオサマ・便ラーディンとアル・カイーダのネットワークの持ち込んだ争点は、実際のところよくわからない。アメリカ文明の世界に対するあり方自体について問題にしているようでもあり、アメリカが中東やその他の地域で行なっている行動すべてに反対しているようにも見える。強烈な敵意が存在することはたしかであるが、その敵意を解消するために、はたして交渉が可能なのか、現実的な政治決着が可能なのかよくわからない。(p.295)

ずっとまだ決着はついてないし、本当に今もよくわからない。
しかし、なかったことにしてはいけないだろうという気だけがする。

経済相互依存の進展は、確実に国家間で相互依存の敏感性を増大させている。(中略)それでは国家の相互依存に対する脆弱性はどう変化してきたであろうか。繰り返しになるが、脆弱性は敏感性ほど単純な概念ではないことに注目しなければならない。脆弱性を評価するには、第一に、何に価値をおいて脆弱性を評価するということ、第二に、外界の変化に対応して自らないし外界を変化させる能力がどのくらいあるかということの両方に注目しなければならない。(p.135)

この脆弱性という概念はかなり重要だと思われる。
相互依存の内実をよりはっきりと腑分けする概念であり、
互いに相手の脆弱性を高める戦略が取られる方に僕は可能性を感じました。