「声と現象」著:ジャック・デリダ
さすがにしんどいので寝かせながら読んでた。
フッサールをデリダが読み解くという体ではあるものの、
それは解くのではなく、
フッサールの紡いだ糸をさらに編み込んで行くような身振りでもある。
現象学的な振る舞いに基づいて還元しながらも
不可分な二重性を発掘してそこを起点にさらに全体を作り変えて行く。
すぐには飲み込めないながらも魅惑的な言葉の乱反射である。
意味が分からないのにキャッチーだなんてことが
デリダに限ってはある。
まったく憎たらしい才能である。
それと、この文庫は訳注が充実していることも付け加えておきます。
- 作者: ジャック・デリダ,林好雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/06/08
- メディア: 文庫
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私は存在するのなかで、私が自分自身に立ち現れること〔=現出〕は、根源的に私自身の消滅可能性へとかかわることなのである。したがって私は存在するは、根源的に、私は死すべきものだということを意味している。(p.122)(引用者が傍点強調部をイタリックにしている)
知覚の言表を理解するために、私は知覚する必要がないのと同様に、<私>という語を理解するために、私は<私>という対象の直感を必要としないのである。(p.215)
差延なき声、エクリチュールなき声は、絶対的に生きていると同時に絶対的に死んでいる。
そのときの絶対知の「彼方で」「始まる」もののために、古い記号の記憶を通して自分を探し求めている前代未聞の思想が要請される。(p.230)