「数学する身体」著:森田真生
数学が何かというよりは
数学とはどこにあるのかという問いに近い本。
全体的に論旨はやわらかく、妥当なところだとは思うけれど
正直に言って小林秀雄賞という名前からあの人の圧力をイメージすると物足りない。
(ま、本人は別にそれに寄せるつもりもないんだからいいんでしょうが)
もう少し、一歩ずつ踏み込んでもいいのだけれど、
それは数学者らしいはにかみなのだと思う。
彼らは真理や公理を崇拝するので近づきたいと思いながら
急に睨みつけてしまうような無作法だけはしまいと気遣う者たちではあるから。
そうやって、数学と心を通わせるということは
世界そのものと心を通わせることである。
個人的には人間の条件に関して無前提のものがありそうなので
おそらく突き詰めれば僕はそこで反発することになるだろう。
- 作者: 森田真生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/04/27
- メディア: 文庫
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チップは回路間のデジタルな情報のやりとりだけでなく、いわばアナログの情報伝達経路を進化的に獲得していたのである。
物理世界の中を進化してきたシステムにとって、リソースとノイズのはっきりした境界はないのだ。(p.38)
とある電子回路をコンピュータの自己学習によって最適化させた時の描写である。コンピュータの感受性というものもあり得そうな感じで面白い。
ダニの比較的単純な環世界とは違い、彼女の環世界は外的刺激に帰着できない要素を持っている。それをユクスキュルは「魔術的(magische)環世界」と呼んだ。
この「魔術的環世界」こそ、人が経験する「風景」である。(p.129)
動物の生態学などで、ここについては現在異論を差し挟めるはずである。
これが人間の特権でないことを認めてから先に進めないといけない。
というか、僕としては人間概念は解体したいのだよなぁ。