ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「HOSONO百景」 著:細野晴臣

はっぴいえんどYMOのメンバーであり、
ソロとしても幅の広い活動を見せる細野のエッセイである。

坂本も似たようなところがあるが、
音楽に対する博物学的な好奇心が強い。
つまり、ある土地の、ある時代の音を求める。

坂本とのスタンスはその距離感か。
細野は教授ではない。
彼は異国の祭りを享楽する旅人である、
という前提で本書は描かれている。

彼が旅をしてきた音楽的領野を紹介するために
エピソードごとにアルバムが紹介されている。
それほど強い脈絡はないし、系統だってもいない。
こうしたスナップ写真は見るだけでも楽しい。
それは撮っている人間が楽しんでいるからだ。

ただ、この本はインタビュー記事も挟まれていて
実のところ「旅人」として演出する意向が強く出てる。
けども、そうやって触れてきた音楽を自家薬籠中のものとする
彼の姿勢を旅人とくくるには、浸かり方が凡百とは違う気がしてしまう。

それぞれの街の敷居をまたいでくつろいでいる
まれびととして酒を酌み交わしているイメージが近い。
こういう人の話は大抵おもしろいものだよね。

実は若い頃に植物ノイローゼになったことがある。木を見ただけで「なんだ、この緑の塊は!」と(笑)。侵食されそうな気がして怖かったんだ。(p.40)

この若い頃のエピソードは環境の異化効果を存分に浴びているけど、
この恐怖自体を忘れてないのは、侵食そのものを恐れなくなったからではないかと思う。

七八年に横尾(忠則)さんと初めてインドに行ったとき、ヒドい下痢になって旅の八割方は横たわっていたんだけれど、それはオールドデリーのわけのわからない雑踏の中を歩いたのが発端なんだよね。(中略)でも、あるとき、ふと空を見上げたら、昼間の月が目に入ってね。なんだかホッとしたんだ。異国の中に紛れ込んでいるのに、月は東京で見るものと同じだった。つまり、月が非現実と現実の接点のように思えたんだね。(p.191)

なんというか、分かりやすいようでいて、
「非現実と現実」の境界のトビラが思いのほか近くて
そこに細野のパーソナリティと良さがあるように思う。