『ケンブリッジ・サーカス』著:柴田元幸
言わずと知れた英米文学翻訳者の柴田さんである。
旅のエッセイなどと帯に書いてあるけれど、しかし旅にしては未知のものが少なすぎる。
これは彼の仕事場の通勤物語だろう。
とはいえ、人の仕事場はいつも企業秘密とやらで
なかなか見えるものではないから、それ自体興味深い。
さすがに歴戦の翻訳者であるから文体はなめらかで読みやすい。
その引っ掛かりの薄さが、未知より既知につながってしまうのかもしれないが。
この中でのハイライトはオースターとの対話にあるように思う。
ここのテキストの導き方は彼の仕事の作法ではないかと思える。
よい聴き手であるのは、今までとても多くの声を聴いてきたしるしだと思う。
大きな声の人に疲れたら開くのにちょうどいい。
「やれやれだ」と思った日の寝る前でもいいかもしれない。
- 作者:柴田 元幸
- 発売日: 2010/03/19
- メディア: 単行本
ちゃんと段取りを踏めば、亡霊に出会えるはずだという気さえしてきた。そのことを想像してみると、出会うのは亡霊だけではないだろうということが僕にはわかった。(p.21)
この本は亡霊についての本でもあるけれど、
文学についての本ということを別様に言ったのだとも言えるし、
もう少しそこからにじんだ部分まで含んでいるかな。
ここはダウンタウンにある文学カフェの二階。みんなビールを飲んだり軽食を食べたりしながら作家たちの朗読を聴いている。今夜はマラソン朗読会と称して、いろんな作家が入れ替わり立ち替わり出てきて自作を朗読する。日本のトークショーみたいに、拍手に迎えられて舞台裏から出てくる、なんて大げさなことはやらず、隣でビールを飲んでいた人が「じゃあ次アタシね」という感じですっと立ってマイクに向かう。この調子で行くと、実は客のほとんどみんなが出演者じゃないだろうか。最後まで行って、朗読しなかったのは僕だけであることが判明し、「あれ?お前まだ読んでないの?」とじわじわ詰め寄られて、なぶられ、撲殺されるのでは……と妄想がふくらむ。(p.83)
どこから妄想か分からないという書き方も全編にまき散らされている。
それはともかく、こういうカフェが成り立つんならやってみたい気もしないでもないね。