『アイデンティティが人を殺す』著:アミン・マアルーフ 訳:小野正嗣
アイデンティティという言葉が市民権を得たのはさほど古いものではないでしょう。
一方で、すでに古くなっているような気もします。
今ならダイバーシティと呼ぶような気がします。
私のアイデンティティの問題ではないという立ち位置を取ることで
問題の先鋭化を避けるような振る舞いから出てきたのではないでしょうか。
タイトルは非常にセンセーショナルな言葉ですが
実際のところアイデンティティには
人が強く固執して、対立を鮮明にしてしまうような力が働いているのは間違いのないところでしょう。
本書はあくまでエッセイとしての書き振りをすることで
アイデンティティを中心に回りながらも
本来の目的を達成することを忘れないように進んでいきます。
それはアイデンティティを二重三重の帰属もあるとした上で
それぞれの誇りとともに生きていくことができる社会を構想することです。
この本の中でとても優れているのはこのような地点への探索に向けて
危険なテーマをあっさりと触れないようにする手つきでしょう。
僕はその振る舞いの中に解決する決意の誠実さを感じました。
即効性のある解決策などあるようなものではありませんが、
考える土台の地平としては良いですし、
彼が避けたエリアもきちんと押さえると地雷マップとしても考えられます。
- 作者:アミン マアルーフ
- 発売日: 2019/05/09
- メディア: 文庫
アイデンティティは数多くの帰属から作られているという事実を強調してきました。しかし、アイデンティティはひとつなのであって、私たちはこれをひとつの全体として生きているという事実も同じくらい強調しなければなりません。ある人のアイデンティティは、自立したいくつもの帰属を並べ上げたものではありません。それは「パッチワーク」ではなく、ぴんと張られた皮膚の上に描かれた模様なのです。たったひとつの帰属に触れられるだけで、その人のすべてが震えるのです。(p.36)
この二重性はしかし、個人というもののあり方でそのものでもあり、
クリプキの名指しに関わる話を思わせるものです。
そのことを指摘する含意は、アイデンティティの問題は
近代に生まれた問題のようで、ほとんど原初からあったであろう問題だということです。
誰であれ、本を開くたびに、画面の前に座るたびに、議論し考えるたびに、「故郷から離れる」気がするようなことがあってはなりません。誰もが近代を他者から借用していると感じるのではなく、近代をわがものとすることができなければならないのです。(p.161)
これは宿題だ。
しかし、借用という概念をポジティブに持っていくことは何かできそうな気がする。