ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

『インド夜想曲』著:アントニオ・タブッキ 訳:須賀敦子

インドでの抒情的なエッセイのようなタイトルであるが
非常に企みの上手い作家らしく、あれよあれよという間に
抜き差しならない場所に連れ込まれてしまう。

それにしても
「抜粋集(アンソロジー)には御用心」とか言われるし、
そもそも訳者の須賀敦子が解題をしてくれているので
ほとんど僕が何かを言えることなんかないのである。
困った本だ。

だから物語について話すことは諦めて旅について話したい。
一人旅、それも目的もあるようでないような旅というのは
それを好む人と好まない人がはっきり分かれる。

(僕はとても好きです。場所についてから観光案内所の看板から面白そうなところを探したり
駅についてから裏口に進んでみたり、不思議な看板を見ればとりあえず中に入ろうとしたり)

しかし好むと好まざるとに拘らず、
目的を失って放り出されることがある。
それは達成したから、というわけではない。
目的にしていたものが、
今そうする必要がないと分かってしまうような不安定な状態のことをイメージしている。
(目的設定の適切さ故に、こうなることすらあるはずだ)

宙ぶらりんの隙間のような時間、
眠りに落ちる寸前の時間あるいは眠りに落ちている時間。
無作為な瞬間には予感が詰まっている。
トランスと呼ばれるような大仰なものでなくても、
初夢ですら未来への予知や期待をもたらす。

目的のない旅はそのような予感によって作動する。
予感がなければないで、雲を見ながら本でも読めばいい。
何か意味のあるものでなくてもいい。旅は旅であることで十分なのだ。

また、この本の最初には
現れるホテルなどのスポットが実在のものであることを示す
簡単な註がついている。
だから、この本を読むことは旅行ガイドとして機能する。

旅で得られるものは断片でしかないが、
私自身のサイズより少し持て余すような断片である。

「それでも、その人は旅に出たんでしょう」医者は言った。
「そのようです、結果的にはね」(p.33)

何気なく差し挟まれるメタっぽい会話。
しかし、それを超えて状況がどんどん転がり込んでくるのが
この物語の面白いところだ。

「気にすることはない」、老人はまるで僕の考えを読みとったように言った。「わしにはたくさん情報員がいる」(p.103)

12の断章で構成されているが、
各章ごとに映画の予告編が作れそうなシーンがある。
こうしてまんまと最後まで連れ去られてしまうというわけだ。

ないようについて話すことは無いけれど、旅が好きな人もそうでない人もぜひ。

それと、この本について書きながら別の本を思い出していたので
それも紹介しておく。

『空気の名前』
著:アルベルト・ルイ=サンチェス
訳:斎藤文子

こちらもエキゾチックな旅で
さらに細い路地を通り、ウェットである。