ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「ことばは国家を超える」著:田中克彦

膠着語を愛してるんだとかいう詩人が身近にいるので
なるほどね、とか言いながらも「膠着語とはなんぞや」というままに来ていたので手に取った本。

言語はいくつかのグループ分けができて、
そのグループの一つに膠着語があり、日本語はそれに含まれる。

日本語は英語と比べて違う部分が多く、
またヨーロッパの言語はそれらが仲間のようであるから、
何か日本語は孤立した言語のような気がしてしまうが、
日本語も別種のグループの一員であると位置付けられるのは
意識しなかった部分でありとても面白い。

(仲間がいるというのは心強いですね)

それによると、朝鮮語群、モンゴル語群などのアルタイ語
ハンガリー語フィンランド語などのウラル語のなど非常に広い
(だが人口密度の希薄な)エリアにまたがっているようだ。


本書はウラル・アルタイ語を中心にしながら
言語学の様々なトピックを興の趣くままに語っていくものだ。
初学者としても読みやすいのだが、しかし、この著者はどうも愚痴が多いような気がする。
膠着語は助詞などがぺったりくっつくから膠着らしいが、
彼は怨嗟が膠着してしまっておるので、読むときにはご注意を。
居酒屋で話を聞いてるくらいだと思うとちょうどいいかもしれない。

クマとあれだけなじみの深いロシア語に、元来あったはずのクマを表す単語が実証されてない(p.78)

クマを表すのは「メドヴェーチ」という単語があるが
「メド:蜂蜜」「ヴェーチ:食うやつ」ということで
直接に名指しているものではない、と。

脅威や、おそれの対象として直接名指すのが避けられたのではないか、というのは
推論以上にはなり得ないけれど、面白い話だ。

ロシア革命に反対し、抵抗したために、迫害されたソ連邦ユダヤ人、タタール人は満州国に逃亡し、あるものは満州国ソ連邦への反撃のための拠点と考えるグループさえあった。少数民族、あるいは抑圧され排除された少数派にとっては、満州国は、いわば駆け込み寺の役割になったのである。そしてかれらは、日本の軍部に積極的に接触してツラン主義を宣伝したのである。(p.215)

まさかこんなところで近代史を読むと思わなかったが、
これは僕が不勉強なだけで、ナショナリズムと言語は二人三脚のようなものだったはずであるから
忘れてはいけない側面なのだろう。

だから、満州国が良かったなんてことは特に思わないが
歴史の陰影を言語の繋がりは映し取っているものだと思った。