「ミシンと金魚」著:永井みみ
久しぶりに小説を読んだ。
不幸には色々な形があるというようなことを
確か、トルストイが言ったと思うけれど、これはそれに近い味がある。
不幸というよりは貧しさと言った方がこれにはしっくり来るだろう。
絶望のような感情ではないのだ。摩滅していく日々の中で
望むべきものもなんだったか分からなくなっていけば世界は縮んでいき、
これがすなわち貧しいということになる。
純文学として、新しいものはさほどなかったとは思っている。
ただ、丁寧で親切な作りで、読みやすかった。
テクニックとして意地悪にしてある部分にしたって
きちんと確認すれば分かるようになってる。
(僕はこういうこと自体はあまり評価はしたくないんだけどもね)
時代性も十分にあって、キャッチーと言えばそう言えなくもない。
ただ、貧しさとともに描かれた老いについては
扱いにくく、読者としては喜ばしい。
老いた語り手のどこか満足気な振る舞いは呆けたせいとも取れるし、
望むものも失ってしまったからかもしれないし、しかし、
心底朗らかでいられるのであれば、どうだろうか。
いずれ自分も通る道として読者を揺さぶるものがある。
とまれ貧しさは不幸とは限らず、さまざまな様態を見せるだろう。
カケイさんの人生は、しあわせでしたか?
とつぜん。人生がおわった人に言うみたいに、たずねられる。(p.22)
確かに、生きてるうちにそんなこと聞かれたって困るわな。
でも考えてみれば、後期高齢者ともなれば頻出の質問かもしれぬ。
泡をぜんぶ拭き終えたあと、乾いたふきんで、おおきな動きで、水気をぬぐった。台拭きは石鹸で洗い、きつく絞って流しのへりに。乾いたふきんも石鹸で洗い、きつく絞ってふきん掛けに。
その動きには、ただのいっこも、無駄が、なかった。
ああ。と、おもう。嫁はすでに、仕上がってる。(p.102)
これは家政としての仕上がりで、この世界でものを見て測っている。
それが誤っているかどうかは問題でなく、そのようにして世界を見るほかなかっただけのこと。
タイトルにある金魚は別の出来事と結びついているものの
狭い金魚鉢で泳がされる生き物として選ばれているのかもしれない。