ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「無為の共同体」J=L・ナンシー

最後に訳者がかなり丁寧に取り出してくれるように、
共同体を全体性に回収せず、共同性のまま思考する論考だ。
それは共同性の限界を探る試みである。

少し前に読んだデリダの「死を与える」にも接するような部分があり、
それは限界の典型としての死であり、無防備に捧げられたもののことだが、
両者ともにほぼ同じ時代の論考であるところに、世紀末の気分を見ることができる。
いや、それは軽く言い過ぎで、切迫した未来への恐怖なのだと思う。

無為の共同体の「無為」はこの場合
「捧げる」よりも前にすでに「捧げられている」ような、
営み以前に訪れている共同性を呼び込むための形容詞であり、
ナンシーはそれを灯し火に細く狭い道を粘り強く歩いた。

この灯はかすかであっても見失わないようにしなければ
ヒューマニズムは道徳へと堕落するだろう。

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考