「空気の名前」著:アルベルト・ルイ=サンチェス 訳:斎藤文子
ここには湿度と匂いが渦巻いている。
港が近いからだろうか。
たしかにそうした湿度はある。
マレビトのための湿度だ。
しかし生臭さはない。
ここには獣の匂いは感じられない。
湿度や匂いはヒトがヒトの為にあつらえたものだ。
これらは紛い物ではなく、それぞれに真正だ。
ヒトが真正であれば。
少女が社会と社会の膜を揺らぎならがら
ヒトに近づいていくというようなモチーフは
今では物議を醸しやすいだろうが、普遍的でもある。
近代的なモチーフではあるが、
むしろフラットなマジックリアリズムによって
この接近は試みられているのが新鮮だ。
何よりこのモガドールの街の陰影の豊かさは非常に魅力的で
主人公のファトマとともにもう少しさまよい続けたくなる。
- 作者: アルベルトルイ=サンチェス,斎藤文子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2013/02/20
- メディア: 単行本
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女はあらゆるもののなかに存在しながら、存在していなかった。彼女の匂いは空気の匂い、彼女の力は風の力、湿り気は大気の湿り気、その存在は軽やかでありながら、ときに重くのしかかった。つねに彼女なりのやり方で、手加減することがなかった。(p.36)
呪いの描写であるが、魅惑的である。
ときどき彼女は、一冊の本を手にして窓辺に座った。しかし、印刷された文字はしっかりと支え止められているものなので、それらの文字がすぐに文字の存在しない場所を航海するということはなかった。ときに、少なくともその断片において、世界の別の形を半ば目覚めた状態で見つづけさせてくれる文章に出会うことがあった。(p.97)
主題はここにはないけれど、この後半部分の文章こそは作者が目指そうとした文章ではなかろうか。