『春宵十話』著:岡潔
数学者の書く数学の本は読めないのだから
こういった本を読むことになる。
だいぶ戦前の道徳的すぎるところが
鼻についてしまうけれど、
真理に向かおうとする時の進み方は特徴的で面白い。
コツコツした積み上げよりも
ハーモニーに近い捉え方で証明を得ようとしているようだ。
過去の学説を改めて解く時に
現代の方がおよそ簡単に解けてしまうのも
その調和の度合いが高まったからだと説明する。
分かるようで分からなない話だけれども
人類の積み上げてきたものだという過去の人への尊敬と、
未来に渡すものの意味合いということが感じられて
いかにも真面目な人であったろうことはわかる。
1963年刊行という戦後の雰囲気の
ひとつとしても面白く読めるかもしれない。
- 作者:岡 潔
- 発売日: 2006/10/12
- メディア: 文庫
今はギリシャ時代の真善美が忘れられてローマ時代にはいっていったあのころと同じことです。軍事、政治、技術がローマでは幅をきかしていた。いまもそれと同じじゃありませんか、何もかも。(中略)月へロケットを打ち込むなんて、真善美とは何の関係もありゃしません。智力とも関係ないんですね。人間の最も大切な部分が眠っていることにはかわりないんです。(p.193)
人間の大切な部分が眠ると、
動物に近くなると多分岡潔は考えている。
けれども、別の動物になる可能性もある。
それはさておき、こういう超然とした感覚で学者はいた方が面白い。
日本は滅びる、滅びると思っていても案外滅びないかもしれない。というのは、日本民族は極めて原始的な生活にも耐えられるというか、文明に対するセンスが全くかけているというか、そういうところがあるので、自由貿易に失敗して、売らず買わずの自給自足となっても、結構やっていけそうにも思えるからである。(p.153)
さて、今はどうか。
存外そうかもしれぬが、個人的には嫌だ。絶対に嫌だ。