ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「人を操る禁断の文章術」著:DaiGo

正直メンタリズムは胡散臭い。
読み終わっても胡散臭いのは変わらない。

それでも、これほど実戦的で簡潔にまとめられたものは
中々お目にかかれないのではないかと思う。

実戦的というのは、書くために書く仕事をしているのではなくて
仕事の中で手段として文章を書いている場合、
報告か、何かの依頼かの二種類で片付いてしまう。

たいてい悩むのは何かをしてもらおうとする文章の場合だ。
そこに即効性のあるやり方を提案するのが本書になる。

もっともまっとうで理解できるやり方なので
いくつかは実際に意識しているという人も
7つのトピック、5つの技法にまとめられているので
ほかに出来ることがないか、簡単にチェックできるのではないか。
(この数字にまとめるところもメンタリズム的配慮だろう)

書き換えの文例も豊富でサービスが効いております。
損はしない一冊かな。

人を操る禁断の文章術

人を操る禁断の文章術

最も大切なのは、読んでもらい、心を動かし、行動につなげることです。
重要なのは、完璧な文章や難解さではありませんでした。(p.40)

「人類学者への道」著:川田順造

人類学というのは今ではあまり使わない名称かも知れない。
未開の土地を文明の視点から見るという、権力関係が露骨であるから。
今では比較文化論などの名称のほうがポリティカリィコレクトなのだ。

この人もまた、1934年生まれである。
しかし、視線は遠く研究の地であるアフリカから始まる。
著者はアフリカと、フランスと、そして日本を動きながら人類学をしてきた。

その営みの罪深さも含めて、また志としては
純粋に人を理解しようとしてきたことに対して誇りを持って、
このタイトルになっているのだと思う。

アフリカに対する記述も面白いが、
川田は観察している自分自身の関わり方の変化もまた観察している。
こうした視線のありようが、人を知ろうとする人類学への方法であり、
道のりそのものだったと言えよう。

人類学者への道

人類学者への道

「ごはん」ということばに私が感じる、ふっくらとあたたかなうまみや、塩をつけた手のなかで握った「おむすび」の味を、私はムイという言葉に託して、モシの人に伝えられそうもない。(p.48)

神話や儀礼の上でしばしば人が「超自然的」とか「呪術的」と形容する原理にたよっているようにみえる「未開人」も、同時にきわめて現実的に自然に働きかけながら生きているのであって、さもなければ、彼らは荒々しい自然環境の中で、文明人が夢想したがるような「未開人」として、物理的に存在しつづけることすらできないだろう。(p.103)

「残夢整理」著:多田富雄

1934年生まれ、2010年没。
青年期に戦後を過ごして来たそうした人のエッセイである。

右派ではないが、日本は確かに
敗戦を経て接ぎ木をされたというのはある。
どのように切断されて、なにが残ったのか
今からでは見えないものも多い。

それにしても、感傷的な憂いを帯びてはいるものの
根本的なところで明るい感じがするのは
この著者自身が悔いはあれど、
生き続けて来たことに充足感を感じているのだと思える。

それだけ、死の匂いは濃厚で
しかし、それは特別な悲劇ではなかった。
そういう時代を経て接ぎ木された上に、
曲芸師よろしく私たちは座っている。

残夢整理―昭和の青春

残夢整理―昭和の青春

何かを発見しようとするなら、文献なんか読むな。そんなものにはなにも書いてない。自分の目で見たことだけを信じろ。わしの言うことを、ゆめゆめ疑うことなかれ(p.173)

医学の道での師匠のキャラクターもなかなか印象的です。

RE/PLAY Dance Edit

最近、舞台というものを観ていなかったのもあって、
ダンスというものを観に行った。

スタートの立つスタンスの取り方がかかとをつけていたり、
肩幅に広げていたり、内股気味であったり、最初から差異が強調されている。

8人のダンサーのうち3人は関西だが、残りは
東京1、シンガポール1、カンボジア2、だからまぁ、
こういう展開は想像はしていた。

音楽が流れ出すと動きは見え始める。
しかし、止まっていても動いている。
動かない時には横になって倒れている。

おおむね、木偶のようではあるけれど、
能動的な木偶であり、ドラクエに出てくる
不思議な踊りを踊るアレをもう少し自由にした感じ。

音楽は繰り返される。
これが、リプレイたる所以だろうと思うが、その度に踊りも
やや違ってやり直される。
ボリュームが上がるのに合わせて踊りの強度を上げているように見せてある。

この「見せてある」というのは文字通り
彼らは木偶でなくて、踊りを踊っているだけだからなのだけど
それは音楽を10秒程度カットオフするような手法で
よりあからさまに提示される。

こうした露悪趣味は笑顔を作らせずに、
息切れした呼吸を聴かせることにも現れている。
また、幕間的に先取りされた公演打ち上げのワンシーンも
彼らが木偶でないことを示している。限りなく木偶に近い形で。

簡単に現状の関係性を見せながら、
女の子が一人先に帰る。
そこで呟かれる「彼女、帰っちゃった。She’s gone.」は
明らかに意図的で死のニュアンスが強い。

死を呼び出せば、生も起き上がるものだが、
そんなものは最初からありふれているのであって、
彼らは踊っているのだから、意図はそこにない。

なら、なんであるかと言えば、
倒れ込んでしまっても息をすることをやめない身体であるし、
音楽が止まっても動き続ける身体のことが
死に仮託されているものだ。

音楽は意図的に古いものから現代へと選ばれている。
時代はアーカイブされながら一向に消滅しない。
なにかをすることはすでに積み重ねられた繰り返しでしかないにしても
身体は常にその時代を生きている。

後半に向かうに従って音楽と動きは開放的になる。
バレエを通過して来たダンサーが3名はいたが、
その跳躍は美しさを持っていると思った。
(嫁は特に、赤紫のワンピースの子が気に入ったようだ)

最期のカーテンコールまで演出通りに駆け出して行く緑の青年を
二人して賞賛しながら、拍手は2回目までにしておこうと思ったのですが
いやはや、最近のダンサーは大変である。
息をして生きていることが仕事のようだから。

いや、さて、それはダンサーだけか?

「フィリピン」著:井出穣治

ドゥアルテ大統領で悪目立ちをしてしまった感はあるものの
しかし、どのような道行を経てそこに来たか知らない人は多いだろう。

この本はASEANの中での差異も取り上げながら、
簡潔にスペイン植民地時代から歴史も抑えてあり、
概要をとらえるのにとてもよくまとめられた本だ。

名目GDPは3000億ドル弱でASEANでもトップ集団ではないが
人口は1億を超えて2番手、さらに平均年齢25才という人口動態の特徴がある。
働き盛りがこれからバンバン増えていくという爆発力を秘めているわけだ。

今、日本とフィリピンの関係は悪くはないと思われるが
第二次世界大戦時には激戦のあった場所も多くあって、
日本への感情は穏やかでない時期もあった。

(以前読んだマッカーサーの回顧録でも
互いに大きな被害が出た戦いであったことがよくわかる。)

それがどのようにして、今フラットなところまでこれたか
改めて見ておくことは価値のあることかとも思う。

多数決原理がうまく機能するためには、国の大きな方向性などの根幹部分について、大半の国民の間である種の暗黙の合意が成立していることが望ましい。そうでなければ、対局の判断のたびに国民の分断が引き起こされる危険性が増す。フィリピンの場合は、半ば固定化された格差の存在により、この暗黙の合意の形成が必ずしも容易ではない。(p.159)

「現代美術コレクター」著:高橋龍太郎

なんか、この人ナチュラルにマウンティングしてきて厄介なんですけど。

ただ、マーケットとして成熟を極めていなくても
多様な広がり方をしていて、何がどう動いているのか
なかなか見えてこない現代日本アートの切り口として
筆者が提示しているものには説得力がある。

やはり身銭切ってると違うね。

文章は鼻につきますが、この本の見所は新書サイズながら
カラーで作品を多数紹介しているところです。

っていうか、会田誠が想像以上にインテリな作品の作りで驚いた。
おにぎりがうんこの上に座ってるやつも、地味に半跏思惟像だったしなぁ。

「ビッグデータと人工知能」著:西垣 通

この人はITなどという言葉で呼ばれる前から
この業界にいる人ですが、正直、僕には全然合わない。

AIの知性というものに限界があるのだから、
万能であるかのように思ってはいけない、
という主張それ自体は受け入れましょう。

というよりも、それはむしろ当たり前なんです。
ただ、その主張をする時に
万能AIという夢想が一神教的なものに通じているとも述べるのは
あまりに粗雑な議論です。

少なくともその夢想がヨーロッパから来たという証はなく
同時発生的に同じような概念が自生するという
可能性をほとんど顧みていない。
また、これは議論の中核ではなくて、単に言ってみた程度の話であり
要は万能ではないという主張を補強する為の小話です。

まぁ、こういうのは手癖でやってしまって自覚はないんでしょうが。

人間と同じでないから人間と同じ知性にならないのは当たり前です。
どこまで成長してもそうでしょう。
それでもなお、シンギュラリティは起こりうると私は考えています。

何故なら、人間とは違う形の知性が存在しうるからです。

優劣とは関係なく、理解が不可能であっても
意思を持っているとみなすことが、
それが人間の能力のひとつなのです。

ヒューマニズムにとらわれるのでなく、
絶えず人間という概念を拡張しようと試みることの一端に
シンギュラリティの夢想は揺らめいているのです。
(ここはとても危うい言い回しですが)

まぁ、情報処理の発展史については概説を抑えています。

下手な切り分けをおこなうと、われわれはコンピュータの作動のリズムに合わせて社会メガマシンの要素と化し、狂気のように振り回されることになってしまう。そうならないためには、今一度、生物と機械の相違を確認しておく必要がある。いったい、「人間にしかできない仕事」とは何なのか?(p.200-201)

人間にしかできない仕事とは信じること、決断すること。
最初、喜ぶことと書いたが、感情は仕事ではない。感情は仕事ではない。