ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「文明の十字路」著:岩村 忍

これを読んでさらに分からなくなりました。(笑

中央アジアの歴史の変遷というものは本当に激しく、
ヨーロッパや中国などの比ではない。地元の勢力はあるものの、
それより強大な帝国が時期ごとに東西南北すべての方向から波のように押し寄せてくる。
これでは確かに安定的な政治体制の確立自体が難しい。

それでなくても、定住できるオアシスが限られているので
遊牧民が多く、都市的な発展をしにくかったという事情もある。
読めば読むほど、今も燃えている火種が
いかに消しがたいものかということはわかる。

叙事詩のように淡々と各時代各帝国の英雄たちが現れ死んでいくので、
テンポはいいが頭に入りきらないところもある。
このような落ちこぼれのために最後に年表もあるのはちょっと嬉しい。

文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

イスラム中央アジアにはじめて導入されたのは、八世紀初頭のことであるが、中央アジアイスラム化が完成されたのは十八世紀のことだといわれている。この事実一つからみても、マルクス主義イデオロギー中央アジアに浸透させるのは、容易ではなかったことがわかる。

政治体制が一夜にして変わることなどありふれているが、
社会が根本的に変わるのには、やはり、時間がかかる。
不断の努力、である。民主主義というイデオロギー
本当に浸透しているんだろうか、とかね。

本屋に行った備忘録

先日、久しぶりに本屋にじっくり居座りました。
買うほど、読む本がないわけでもないので、
ひたすらタイトルと装丁をチェックして
少しペラペラという不審な人間でありました。

その中で、いくつか面白そうなのを備忘録として
ピックアップしておきます。

亡き人へのレクイエム

亡き人へのレクイエム

これはエッセイですが、献花としての文章は
常に読むに値するもののような気がします。

季弘、森﨑秋雄、須賀敦子、松井邦雄、西江雅之
米原万里、澁澤龍彥、大江満雄、丸山薫菅原克己高峰秀子野呂邦暢ほかの28人。

とのことで、書かれているメンバーも非常に気になります。

幻花

幻花

続いてこちらは、随筆集ということですが、とにかく装丁に惹かれる。
非常に小ぶりなつくりになっていて、正方形に近い。
寝転がって気楽に、隙間の憂鬱に効きそうな本です。

台湾生まれ 日本語育ち

台湾生まれ 日本語育ち

日本におけるクレオール的立ち位置のようでもありますが、
同時にこういう、さっくり明るいトーンで書けなかった
いわゆる在日文学との対象に悩んでしまいそうではあります。

こちらは実直な研究に基づく政策提言までの明快なパッケージです。
こういう数字に基づく議論をベースにしたうえで、
そもそも少子化は問題化すべきなのかを改めて考えたいところ。
誰か読んどいて。

これも非常にしっかりとした仕事になっています。
筆者の父親からの聞き取りによる20世紀を貫く、個人史。
無数の無名の人たちの中にこそ、無名の私たちに連なる歴史はあるだろう。

読了レビュー「世界最強の女帝 メルケルの謎」佐藤伸行 著

著者も告白するように核心には迫れていないけれども、バイアスで見逃している事実を教えてくれもする、凡庸であるが不誠実でもない本だ。

メルケルの政治の原理をとらえるのが困難であった代わりに読者に差し出されたものとして、特徴的なのは2つほどある。

1つは関わった権力者たちが次々と失脚してきた、あるいはその引き金を引いてさえいるメルケルの足跡や、プーチンのモノマネをするお茶目な姿といった、ややゴシップよりの記事。もう1つは、ドイツの歴史および地政学を踏まえたドイツ政治そのものの変遷。

これら2つはともに中々興味深いものを選んでおり、「メルケルの謎」というタイトルに近づかなくても一応これで満足はできる。

前者のトピックスでは、ちょっとした面白いことから、政治の世界の業の深さ、闘争の激しさ、執拗さを見ることができる。犬に噛まれて犬嫌いになったメルケルに犬攻撃を仕掛けるプーチンの話などたまらない性格の悪さである。

後者のトピックスではバイアスをリフレッシュするような事実の記述が光る。たとえば、ウクライナとドイツの因縁は、冷静に考えれば見えるべきものなのに、西側にいるつもりになるとロシアの脅威ばかり見えてしまう。また日本から見ると、枢軸同盟を組んでいたのはドイツにとって(それは日本にとってもそうだけれども)ごく例外的な時期であったということも見落とす。

このように作者は外堀を埋めようとしながらも、しかし、たどり着くことはなかった。正直に言えばメルケル本人の言葉がもっと欲しかった。だが、私見を挟むなら、東独時代に抑圧された記憶からごくナイーブに生存権の確保を目指す政治ではないかと思う。だから、誰も反対ができないような正論を取り出し続けることができる。

日本とドイツの戦後史の動きは似ている部分もあれば違う部分も大いにある。そこには戦後統治のあり方の違いもあるし、地政学的なものの違いもある。しかし、政治に対する切実さと誠実さにはメルケルに見るべきものがあると思う。

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)

5月のためのプレイリスト、解説。

Apple Musicのせいで、物理的にCDをプレイヤーに突っ込むことが
ついに面倒になってしまいました。
いや、CDで持っててApple Musicにない曲も多数あるんですけど、
正直、音楽はニュアンスなんで、似たものを探すことにむしろ
楽しみを覚えてしまいます。

さて、で垂れ流してるのも月イチくらいでは
まとめようかと思ってプレイリスト作りました。
月額で聴ける範囲でかき集めたものです。

AM9:00、晴天(5月の)


ざっくり全体のイメージはリンク先にもありますが、
まぶしすぎて、落ち込む5月病と、誘発される厨二病という
二大症候群がテーマになってます。
全33曲、ジャンルはそれなりに広いですが、ブルースはないです。
ガムランも入れませんでした。そんな感じ。

ここからは各曲紹介。
まとまりないべよ。

”12345678” CAPSULE

かなり急な入り方をしますが、焦燥感を無視して
音楽をかけようとしたリスナーをさらに圧迫しつつ、
ポップとビートを刻みます。

”夏のにおい” フラワーカンパニーズ

力強いボーカルで、さらにヤケクソさをましていきます。

”ランデブー” Little Tempo

ここで力を抜きます。ダブですけども、
この流れではむしろわりと空虚なポップの感触だけが
残るとよいと思います。
ポスターカラーで塗ったみたいな街並み。

”SHIFT” CAPSULE

キュッと、塗り替えます。
ポップ、ポップ、ポップ。
5月に置いて行かれたのではなくて、
からっぽな心がはぐれたのは知ってるから、
ビートは勝手に鼓膜を揺らすだろ。

"Me & Bobby McGee" DOUBLE FAMOUS

扉を開ける。人のうちだと思う。
いい歌だから歌えるなら一緒に歌ったらどう。

”また明日” フラワーカンパニーズ

じんわりと暑い、夏はまだ先だろ?
季節と関係ないんだよね。こういうのって。
ここにある体を思い出して。
そこにこぼれている感情。

"ツァラトゥストラはかく語りき (原題:Also sprach Zarathustra)" DOUBLE FAMOUS

地球は勝手に回るし、街も勝手に動く、僕も勝手に動く?
フリーに。

"Sei Lá (A Vida Tem Sempre Razão)" トッキーニョ & Vinícius

木陰のイメージ。炭酸水なんか気取り過ぎてると思ったけど
砂糖って、もうそんなにいらない感情したりするし、
意外と体にしっくりくるところある。

”chimney song” ゴンチチ

木陰のイメージ、でも
これはファンタジックなほどに鮮明で、
実感のある涼やかさ。

”Happy End” 坂本龍一

5月は太陽が一番眩しくて陰影ははっきりする。
雲が伸びてきて覆うのは一瞬。
ヒロイックなオーケストラ。

"Parolibre" 坂本龍一

グレースケールのやわらかさ。
祈りのようなボーカルをオリジナルで聞いてるので、
僕には特に、儚げに響く。

"Humans + Ants in Proportion (Unfinished)" Kilo Kish

曇りのまま人に会うようなこともある。

"Existential Crisis Hour!" Kilo Kish

この2曲はアルバムでも隣り合わせ。
きゃわわ。インタルード。

"Sad Machine" Porter Robinson

転調。曇が晴れれば、嫌んなるくらい眩しい。

"A Truly Happy Ending" Junior Boys

5月のカラフルさと、グレーと
一度、引いて見るような感じ。
シャイな感じ。

"No Intention" Dirty Projectors

自由なボーカル。太陽は支配者かもしれないが
より自由な人の声。支配しなくても自由。

"Kick the Can" Junior Boys

この辺の要素は趣味ですね。
タイムラプスで雲が街に落とす影を見ている。

"Something Isn't Right (Fakesch Remix)" Herbert & Taprikk Sweezee

趣味2。迷い込んでますね。
キュートでキッチュな電子音。
街でのウィンドウショッピングみたいな。

"D-Tron (Fakesch Remix)" Scaffolding

商店街も終わります。
見るものもなくなってぐだぐだしてます。

"Stillness Is the Move" Dirty Projectors

停滞、ですが、オーガニックな音は
熱を思い出す。そう言えば、太陽も強かった。

"We Love (feat. Fannie Lineros)" Arigato MassaÏ

どうしようもなく退屈な時に
ふと、生きていることを悲しく思うことが
喜ぶことにそのままつながるような。

"Flicker" Porter Robinson

ハッピーを続けようとする、ロボトミー手術。
不気味で、キュート。
前の曲と合わせて、最近のお気に入り。

"Sunshine Feat.Bird" FreeTEMPO

ダンスをもう少しピュアにナイーブに
人のものに返します。オーセンティックな作り。

"小浜節 (こはまぶし)" 大島 保克/中国古筝:姜 小青

踊れば疲れます。えぇ。
木陰、ですが、さらに暑いのです。
踊ったから。

"サボッタージュ(放課後の川べりver.)" たんきゅんデモクラシー

たんきゅんのオリジナルと迷いましたが、
よりイマジナリーな方を選びました。
ロリータなんてなかったんや。

"祈れ呪うな" KIRINJI

開き直り、です。
いや、しかしいい歌。地面に足がついてる。

"はなれ ばなれ" クラムボン

青すぎる空みたいな、声。

"何をするでも話すでもなく" 空気公団

高すぎる空と、ここにある空気をつなぐ。
というよりは、すでにつながっている。だろ。

"スカイ ハイ" Little Tempo

空気を、風景をもう一度引きで
受け取り直す。そこに、いる自分は太陽の暑さも感じる。
この世界に降りている。

"jika Dile a Tu Mamá" Finzi Mosaique Ensemble

遠くに行きたい、という気分とジプシーはかなりマッチする。
奔放で艶やかなボーカル、あと、ベースがこれは意外としぶいのよね。

"ア・リトル・ビット・オブ・ソープ" PIZZICATO ONE

ちょっとはしゃぎ疲れたので見上げる感じ。
ひとりぼっちのピチカート、小西はレコードに埋もれている。

"tampopo" ゴンチチ

ゴンチチのおおらかさと繊細さとが詰まってます。
ここがエンディング。道端に咲く花は美しいか。
見に行きませんか。

"Banana Ripple" Junior Boys

エンディングのあとに、もう一周することを見越して
カプセルと親和性の高いのを選んでます。
でも、この人自体もこじらせ感がたまらん。

「第七官界彷徨」尾崎翠

正直に言いますと、
もっとわけの分からんものを想像してたので、
ちょっと肩透かしでした。

だって、第七官界という言葉が意味わからんし
気になるじゃないですか。
でも、ほとんど触れない。
それはむしろ大モチーフとしてどの場面でも
それがあるんですよってのも伝わるけど、
むー、うーん、それよりも可愛らしい
少女趣味がむしろ前面に出てて、
それはそれで平和な気分にはなりました。よ。

たとえば、家の中で肥溜めの研究をするなんてのも
ちょっと信じがたいですが、そういう場面がある。
でも、これも少女とまったく逆のスタンスにいる
人間のすることですから、少女趣味の主張になるのです。


というか、第七官界なんてのはそのへんの
SF(すこしファンシー)な空間のことやもしれません。
気の利かない男としてはおどおどのぞくが関の山、
語るのはこの辺でおしまいです。

第七官界彷徨 (河出文庫)

第七官界彷徨 (河出文庫)

「無為の共同体」J=L・ナンシー

最後に訳者がかなり丁寧に取り出してくれるように、
共同体を全体性に回収せず、共同性のまま思考する論考だ。
それは共同性の限界を探る試みである。

少し前に読んだデリダの「死を与える」にも接するような部分があり、
それは限界の典型としての死であり、無防備に捧げられたもののことだが、
両者ともにほぼ同じ時代の論考であるところに、世紀末の気分を見ることができる。
いや、それは軽く言い過ぎで、切迫した未来への恐怖なのだと思う。

無為の共同体の「無為」はこの場合
「捧げる」よりも前にすでに「捧げられている」ような、
営み以前に訪れている共同性を呼び込むための形容詞であり、
ナンシーはそれを灯し火に細く狭い道を粘り強く歩いた。

この灯はかすかであっても見失わないようにしなければ
ヒューマニズムは道徳へと堕落するだろう。

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考

おそるべき少女たち

今週のジャンプ、「鬼滅の刃」は
レトロな見せ場の作り方込みで好みです。
ジャンプには珍しくオシャレさんです。
(大体あの辺の作家はすぐフォルムに凝るけど、
その前に、素材とかテクスチャとかあるでしょ)

鬼が現れる世の中で、噛まれると鬼になってしまう。
和風ゾンビホラーですな。
親は殺され、妹が噛まれてしまって鬼になってしまう。
お兄ちゃんは敵討ちとそれを治す方法を探しに旅に出る。

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)


妹は守られる存在でありながら、
同時に鬼に対抗できる直接の力でもあります。

こういう表現はどこかでも見たと頭をひねる。
アイアムヒーローの比呂美ちゃんですね。

こちらも現代ゾンビホラーです。
噛まれてゾンビ(その世界ではZQNと呼ばれる)になってしまう。
こちらは特に関係があったわけではない、
さして若くもない青年がなかば保護する形で冒険をしていく。

このアイアムヒーローのZQNは
受け入れ難く無教養な社会を暗示しているように思う。
DQNという俗語を連想させる語感、そしてゾンビと言っても
彼らの中で曖昧なコミュニケーションが存在するようでもある。
文化を疫学としてとらえる研究もあったが、
この感染症とそこから捲き起こる衝突は社会の中にある
文化の摩擦とニアリーイコールだ。

そうであるなら、少女が感染するということ、
そして、感染したまま旅をするということは
彼らなりの社会との折り合いなのか?

他にこのモチーフはあるか

この手の話なら本当は斎藤環の「戦闘美少女の精神分析」を読んでおきたいところ

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

ですが、思い立ってのエントリーなので、読んでない。
しかし、本の紹介に列挙してある「戦闘美少女」はひろっておこう。
いわく、ナウシカセーラームーン綾波レイ

今回のモチーフとしては綾波は適合しそうだ。
庇護欲を掻き立て、かつ物語の核心を体現しており、かつ戦う力を持つ。

また、まどかマギカ魔法少女
その敵である魔女が循環しているという構造においては、
男性を抜いたかたちでの、変形モチーフと言える。

最終兵器彼女のちせは、圧倒的な武力の一方で
ただの可愛らしい女の子であろうとする。
これは、しかし、その武力は純粋で象徴的な武力であって、
ちせは敵と関わっているというよりも断絶するために戦っている。

まどマギも、最終兵器彼女も閉じこもるかたちで終わる。
どちらも一種の女性崇拝的気分を僕は感じるのだが、
こうしたところに男があらわた途端に、男はわがままに振る舞いはじめる。

鬼滅の刃も、アイアムヒーローも連載中であるから
定まったかたちで何かを言うことはできないが、
受け取れるメッセージはある。

少女が怖い

社会はずっと怖かった。
何せ生まれる前からがんじがらめにしようと待ち構える
ナチュラルボーンジェイルである。

だから、社会に参入していない少女は女神のはずだった。
しかし、今、僕を縛るこの縄の持ち主はかつて少女だった。
いとも軽やかに彼女らは向こう側に行ってしまう。

そう知っているから手許においておくのではないか。
この葛藤はまっとうなものだとは言える。
なぜなら、違う思考に対する恐れ、不気味さは常にあるもので、
それを感じない時にこそ抑圧が場に発生しているはずだから。

ただ、この時ホモソーシャルなものに向かう可能性もありうる。
この可能性は市場の需要の問題で描写されにくいが、
エヴァンゲリオンにおけるトウジの立ち位置なんかは
そうした逃避的現象を反映していると思う。

いずれにしても、少女は社会と結託する。

性愛の問題ではない

これらのおそるべき少女たちの出現はマリア様ではなくて、
ノアの方舟のほうが近い。

危機的な世界において歴史がフラットになっていく、
歴史の消失点をむかえつつあるなかで彼女たちは登場する。

いや、すでに歴史など終わったというじゃないか、
こんなものは茶番だと、言われるかもしれないが、
それなら、今ここで生きているごく個人的な私も茶番であって、
どこか新しい歴史のはじまる世界までショートカットするような方舟があれば
それにすがろうというのもこれもまた道理というわけで。

未熟であろうと、「つがい」で行動する彼らは
物語が終わったあとで、もう一度物語を立ち上げようとする意思そのものだとも言える。