ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

素直に大地震と言えばいいではないか

内閣による地震の被害額が出ました。
さすが、大地震という金額ではありますが、
東日本大震災阪神大震災と比べるとなんとか収まってる感はあります。

東日本大震災阪神大震災はそれぞれ
津波に火災と二次災害があったことも大きいのではないかと思います。

さて、ここで気になったので、
被害者数に関する数字も並べてみたいと思います。
数字はそれぞれ官公庁発表資料からです。
指数は熊本地震を1とする計算です。

こうして見ると、東日本大震災の規模の大きさが
飛び抜けていることが分かりますが、
逆に直接的な資産に対する損害額の比は新潟中越地震も含めて
平準化されているような印象です。

また、新潟中越地震はその中で負傷者の数が多く、
これは土砂災害などの複合的なものもありますが、
諸々を見ると、熊本地震は人的被害はその規模にして、
だいぶ抑えられていると見えます。

これは一重に、日本在住のひとびとの災害への意識や
耐震化への政策的誘導および点検がある程度の成果を収めたためだと
僕は信じたいところです。(本当のところは専門家の検証を待ちたいです)

これは大震災であるか否か

さて、これが大地震か否か、
消費税の増税に関わっているかのようになっていますが、
はっきり言って、僕には関係のないことのように思います。

前回の東日本大震災の時には復興税が設立されました。
控除もあるんですが、これは
所得税に2.1%、法人税に10%を上乗せするものです。

28年度予算と照らし合わせると概算で
所得税の中の復興税分が3700億円、
法人税の中の復興税は1兆1100億円。
平成25年から平成49年までの税金となっています。

さて、一方の消費税は17兆1850億円というわけで
軽減税率とかざっくり無視すると、1%あたり2兆円ちょっとです。
東日本大震災のための増税は、消費税に直せば1%に満たないことになります。

非常に痛ましく、恐ろしい災害ではありましたが、
予算におけるインパクトはいまのところこのくらいなわけです。
今回の熊本地震増税をやめるかというとどうでしょう。

さらに言えば、2011年に地震が起きて、
2013年に復興税が作られ、2014年に消費税は5%から8%になりまして、
その後にかの偉大なアベノミクスが起こったわけでないですか。
なら、増税率は5から8よりも低くて
災害も東日本大震災より規模も小さい熊本地震なら
10%へ増税するのに問題はないものと思います。

というか、通常運転でも必要だから税率を上げるということですので、
さらに金のかかる復興事業があるにもかかわらず、
増税をしないというのはかえって恐ろしい選択と思うのです。

別に増税万歳というわけでなくて、
必要だからと何年も前から既定路線にしていた増税
フイにするのはちょっとどうかと思うわけです。

本当にこの辺の報道を聞くといつも奥歯にモノがつまっているようなので
はっきりと言って欲しい。
「熊本の地震はひどい大地震でできるだけのことをする、
その為にも財政の足かせができないよう決められていた増税は行う」

と言いますか、僕の老後にハイパーインフレとか来たら
マジで死ねるので、そこのところ本当に頼みます。

非常事態宣言の前に考えておきたい自衛隊のこと


おおむねこの辺のところは誰が悪いという気分にはなれない。
まったく恐ろしいことであるし、正直に言えば勘弁して欲しいが。

純真無垢な気持ちで僕が想像するこれらの顛末とは以下のものです。

1、ネットワーク的なテロリストとの戦いは、
一国が担いきれるものでなく同じくネットワーク的な警察的武力を要求する。

2、日本はテロリスト側ではないので、
国際環境から軍事的プレゼンスを費用とする共同負担を要求される。

3、直接行使しない武力として行くならという前提で拠出。
この時、それを担保するための非戦闘地域という言葉が発明される。

4、ネットワーク的なテロリストとの戦いにおいての戦場概念などあってないようなもので、
ナチュラルに約束は反故にされる。

5、自衛隊的にはすでに送られた以上、
かえって歯止めをどこにかけるかは現場の裁量にかかってしまう。

6、安倍君による現状を追認する形の政府見解。

7、とはいえ、彼らなりに不名誉を避ける程度の活動をするも、
右も左も動けないが、そもそもハナから武力でない軍隊がよくわからない。

7、やはりロビー活動するっきゃない。

というわけで、安倍君は現状追認しただけの
政治的リーダーシップとは無関係のところで
安保関連法案を動かしたというのが僕の解釈です。

なので、安倍君を変えたところで、
こうした政治的ベクトルは変わらずに圧力がかかり続けるものと考えます。
(それにしても安倍君は衒いがなくてびっくりしますが)

平和安全法制に関してはちゃんと政府がまとめていて、
これが国家機密でないことには少しほっとしますが、
別に機密にすることもできそうですよね。
とりあえず、久しぶりなので簡単でも目を通しておきましょう。

首相官邸
「なぜ」「いま」平和安全法制か

防衛白書
平和安全法制整備法案の概要

いやー、首相官邸のところの反対意見の併記がことごとく、
共産、社民だけだったり、憲法論議に関しては一番下に置いて
できるだけ見られたくないという意図が見え隠れして、
非常に手の込んだ力作と思われます。涙出そう。

その点防衛白書は官僚らしく、
条文のことしか書かないからいいですね。
読みやすくもないが、これこの通りであるという条文主義は
客観的で議論の土台になりやすい。


僕が一番気にしている、よく分からんこと

で、これ読んだんですけど、
僕にはよくわからないことがありましてね、
これが今、一番不安で大事なことだと思うのですが、
日本でテロが起きた場合、自衛隊は何処へ何をしに行くべきなのでしょう?
あるいは、自衛隊はテロに対して何ができるのでしょうか?

伊勢志摩サミットで警備が厳重になっているという
ニュースを小耳に挟みますが、
おそらくテロはここでは起きないでしょう。
今までの傾向を見る限り、やるなら警備の手薄ないわゆるソフトターゲットの中で
比較的効果の高いところを選ぶ傾向にありますので、
東京の市街地であるとか、あるいは僕の住んでる京都も狙うかもしれませんね。
象徴的なものが多そうなんで。

実際に起きるかどうかは別として、
「積極的平和主義」はこの場合「抑止力」を持って
未然に発生を抑えるそうなのですが、
こうした時に、どのような反撃があるか明確でないのに
「抑止力」は発生するのでしょうか?

この場合、2通りの答え方がありそうです。

A、何も自衛隊空爆する必要はないので、多国籍軍空爆して抑止力になるはずだ。
(それなら、今まで通りじゃないの?)

B、現地で未然に防ごうとする哨戒、警備、警察、諜報を含めたものが抑止力になる。
(これも別に今まで通りの気がする)

根本的に、自己保存以外で武力を行使しないという前提で
「抑止的武力」というのは無理があるように思います。
しかし、同時にそのように動けるかのように偽装してます。

法律的手段のない中で目的だけ求められる集団は、
脱法へのプレッシャーを常にかけられているようなものです。
自衛隊の合憲化と敵を殺すことに関する責任の所在、
殺されることに関する責任の所在そういったものを考える時期ではあると思います。


自国の為には国外に出るべきではないと思うのです

さて、ではテロを受けた時、日本はどのような反撃をすべきでしょうか。
国外まで出て行き、敵組織を殲滅というのは、
すでにアメリカが多数失敗していることを
何もン10年遅れでやる必要はないと思われます。

反撃は常に日本の領域からの排除で十分です。
では、国外任務はいらないのかと言えば、
国際協調の一環としての多国籍軍の末席を捨てるのも難しいと思います。
確かに本当に介入が必要な事態もないわけではないので。

ただし、その国外派兵は常に、国際協調の一環であって、
報復の為とは無関係に選ばれた作戦計画であるべきです。

僕がこの中途半端な法制度の状況の中で一番恐れるのは、
テロを受けて、非常事態宣言が発せられて、
大胆な海外派兵作戦の展開に協力する筋道を歯止めもなく作ってしまうことです。

盧溝橋事件などという偶発的事件からでも
中国侵略の発端を軍部は独断で起こした。
という過去の事例はそれほど再現性の低いものでもないでしょう。

正直に申し上げてちょろっと考えた程度の話でございます。
シミュレーションとして物足りないものではあるでしょうが、
「テロが起きるかもしれない」の後の想像、
そして根本的に自衛隊は何が許されているのかということは
まだまだ考えるところがあると思います。
そう遠くない時に国民に問われると思うので、
考えることをはじめてもよいと思うのです。

***

参考文献
「紛争屋の外交論」伊勢崎 賢治

紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)

紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)

浜辺の狂人とシルクロードのトートバッグ

ニートもたまにはお散歩をします。

本日は京都、室町を歩くことにしまして、ここいらは
織物問屋があった場所なんですが、ちょうどいま産業が
形態変化を遂げているようであって、反物屋が風呂敷の小売をしたり、
あるいは抜けたところに、良さげな雑貨、レストランが入りやすい地域であります。

京都にいたらたまには歩いてチェックしたいところです。

そしたら、国際写真祭をやってるだとかで、
普段入れない問屋さんの蔵の中での展示ということにつられて
ホイホイと入っていきます。

京都国際写真祭

5月22日までとか、運よく入れた感じですが
作品点数としてはちょっと少なかったかな。

ヨーガンレールという名前も聞いたことがあると思っていたら、
嫁の本棚にある名前だった。ので、結局よくは知らないのだけれど、
鳥の死骸にプラスチックキャップなんかが呑まれていたかのような写真が数点。

浜辺に漂着したとされるペットボトルやプラスチックの何かを
組み合わせた照明器具が10点超。
写真が欲しい?ではこちらへ

そして、砂浜でただ鳥が死んでいる、写真を時を変えて
風と時間を感じさせる組み合わせの写真。

全体的に無邪気である。無邪気さは、どうも横から触りにくい。

2階ではその制作風景なんかもあって、
やっとヨーガンレールの真剣そのものの手つきを見ることができて、
あぁ、これは「あそこのおじいちゃんボケちゃってね、」と
こそこそ腫れ物に触るような感じでご近所さんに見られてたに違いないと
そう確信したのではあるのだけれど、
これは別に馬鹿にして言っているというわけではなくて
たぶんある種の人間はこういう状況に絶対的に憧れている。

「危険ではないが、狂っている」ということほど
安心できるものはあるだろうか、いや、まったくうらやましく思う。

そんな彼は交通事故で亡くなっているらしい。
ボケていたかどうかなど僕の知ったことではないが、
理想的な状況はよりよく生きるために交通関係には
特に気を使って生きていきたいですね。

さて、そこを出まして、
御池の手前にございます文椿ビルディングも
やはり顔を出しておきたいところなんですが、
気づけば2Fがキッチンの展示場になってるとかでまったく残念至極。
椅子や机はいつでも見て撫でたりしたいですが、
シンクやコンロにはあまりそういう趣味がないので、パスします。

こまっしゃくれたカフェの向こうになんか見ない感じの
テキスタイルがあります、おっと、と眺めるとどうも
オリジナルテキスタイルのようです。
お店はこちら

色鮮やかだけどキッチュには触れないシックで
エキゾチックなセンスのテキスタイルで個人的には
日傘やクッションがしっくりくる気がします。
キャスキッドソンをシルクロードフィルターで圧縮した感じのテイストです。

トートバッグが結構置いてあるのだけど、
これは正直魅力を感じません。
というか、トートバッグはざっくり感が使い回しやすいのであって
こんなおセンチで手の込んだ柄だとどうもトートバッグの印象と喧嘩します。

あと、乙女文化発信とか言ってティーポット用にかぶせるやつを作るなら
是非アフタヌーンティーあたりとコラボしてティーセットを作るべき。
ミニケーキやマカロンを置いてプレス式の紅茶でいただくとか
これくらいしたいじゃないですか、ねぇ。

まぁ、しかしちょっと久しぶりにちょっとテンション上がる感じの
雑貨ぞろえで良かったです。
器もレモン色のものがあってなかなかキュートでした。

以上、オチなし。

読了レビュー「飛田で生きる」著:杉坂 圭介

中の人の、それも使用者側からのエッセイというだけで
ちょっと希少価値はある。

中身はそんなにセンセーショナルではないし、
目を引くところはなかった。
しかしそれは率直な記述であろうと
著者が配慮した結果ではあるだろう。

特にこの手の事業を立ち上げた人のエッセイには
「自分はこの件に関して一通り見渡せている」という
鼻持ちならない感じがプンプンする人もいるので、
分をわきまえてる感じ好感が持てる。

ぶっちゃけもうちょっと
コミュニケーションとったほうがいいんじゃないの
とか思うとこもあるけど、
距離感を間違えると怖いので
近寄れないとかもあるんだろうなぁ。

以前は水着や下着姿で座っている子もいたようですが、最近ではそうした過激な衣装はお客さんへの挑発的な行為とみなされ禁止になっています。未成年に見えるような服も禁止です。AKB48を模した服を着させていた店もありましたが、組合から「あれはAKBのコスプレじゃなくて単なるセーラー服。女子高生に見える」と判断され、いまはどこの店も自粛しています。

これがジャパニーズ自主規制。
数値の改竄をやっとる業界より真面目かもしらんね。

「文明の十字路」著:岩村 忍

これを読んでさらに分からなくなりました。(笑

中央アジアの歴史の変遷というものは本当に激しく、
ヨーロッパや中国などの比ではない。地元の勢力はあるものの、
それより強大な帝国が時期ごとに東西南北すべての方向から波のように押し寄せてくる。
これでは確かに安定的な政治体制の確立自体が難しい。

それでなくても、定住できるオアシスが限られているので
遊牧民が多く、都市的な発展をしにくかったという事情もある。
読めば読むほど、今も燃えている火種が
いかに消しがたいものかということはわかる。

叙事詩のように淡々と各時代各帝国の英雄たちが現れ死んでいくので、
テンポはいいが頭に入りきらないところもある。
このような落ちこぼれのために最後に年表もあるのはちょっと嬉しい。

文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)

イスラム中央アジアにはじめて導入されたのは、八世紀初頭のことであるが、中央アジアイスラム化が完成されたのは十八世紀のことだといわれている。この事実一つからみても、マルクス主義イデオロギー中央アジアに浸透させるのは、容易ではなかったことがわかる。

政治体制が一夜にして変わることなどありふれているが、
社会が根本的に変わるのには、やはり、時間がかかる。
不断の努力、である。民主主義というイデオロギー
本当に浸透しているんだろうか、とかね。

本屋に行った備忘録

先日、久しぶりに本屋にじっくり居座りました。
買うほど、読む本がないわけでもないので、
ひたすらタイトルと装丁をチェックして
少しペラペラという不審な人間でありました。

その中で、いくつか面白そうなのを備忘録として
ピックアップしておきます。

亡き人へのレクイエム

亡き人へのレクイエム

これはエッセイですが、献花としての文章は
常に読むに値するもののような気がします。

季弘、森﨑秋雄、須賀敦子、松井邦雄、西江雅之
米原万里、澁澤龍彥、大江満雄、丸山薫菅原克己高峰秀子野呂邦暢ほかの28人。

とのことで、書かれているメンバーも非常に気になります。

幻花

幻花

続いてこちらは、随筆集ということですが、とにかく装丁に惹かれる。
非常に小ぶりなつくりになっていて、正方形に近い。
寝転がって気楽に、隙間の憂鬱に効きそうな本です。

台湾生まれ 日本語育ち

台湾生まれ 日本語育ち

日本におけるクレオール的立ち位置のようでもありますが、
同時にこういう、さっくり明るいトーンで書けなかった
いわゆる在日文学との対象に悩んでしまいそうではあります。

こちらは実直な研究に基づく政策提言までの明快なパッケージです。
こういう数字に基づく議論をベースにしたうえで、
そもそも少子化は問題化すべきなのかを改めて考えたいところ。
誰か読んどいて。

これも非常にしっかりとした仕事になっています。
筆者の父親からの聞き取りによる20世紀を貫く、個人史。
無数の無名の人たちの中にこそ、無名の私たちに連なる歴史はあるだろう。

読了レビュー「世界最強の女帝 メルケルの謎」佐藤伸行 著

著者も告白するように核心には迫れていないけれども、バイアスで見逃している事実を教えてくれもする、凡庸であるが不誠実でもない本だ。

メルケルの政治の原理をとらえるのが困難であった代わりに読者に差し出されたものとして、特徴的なのは2つほどある。

1つは関わった権力者たちが次々と失脚してきた、あるいはその引き金を引いてさえいるメルケルの足跡や、プーチンのモノマネをするお茶目な姿といった、ややゴシップよりの記事。もう1つは、ドイツの歴史および地政学を踏まえたドイツ政治そのものの変遷。

これら2つはともに中々興味深いものを選んでおり、「メルケルの謎」というタイトルに近づかなくても一応これで満足はできる。

前者のトピックスでは、ちょっとした面白いことから、政治の世界の業の深さ、闘争の激しさ、執拗さを見ることができる。犬に噛まれて犬嫌いになったメルケルに犬攻撃を仕掛けるプーチンの話などたまらない性格の悪さである。

後者のトピックスではバイアスをリフレッシュするような事実の記述が光る。たとえば、ウクライナとドイツの因縁は、冷静に考えれば見えるべきものなのに、西側にいるつもりになるとロシアの脅威ばかり見えてしまう。また日本から見ると、枢軸同盟を組んでいたのはドイツにとって(それは日本にとってもそうだけれども)ごく例外的な時期であったということも見落とす。

このように作者は外堀を埋めようとしながらも、しかし、たどり着くことはなかった。正直に言えばメルケル本人の言葉がもっと欲しかった。だが、私見を挟むなら、東独時代に抑圧された記憶からごくナイーブに生存権の確保を目指す政治ではないかと思う。だから、誰も反対ができないような正論を取り出し続けることができる。

日本とドイツの戦後史の動きは似ている部分もあれば違う部分も大いにある。そこには戦後統治のあり方の違いもあるし、地政学的なものの違いもある。しかし、政治に対する切実さと誠実さにはメルケルに見るべきものがあると思う。

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)