ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「パロール・ドネ」著:クロード・レヴィ=ストロース、訳:中沢新一

構造主義の発展を支えた人類学者の講義録である。

ここにある内容は正直に言って僕には専門的すぎて
もう少し周辺テキストを読まなければ理解をしきるのは難しかった。

しかし、それは言葉を弄するといった類のものではない。
どれも具体的な物事に結びついたうえで思考は展開されている。
一番最初に「支えた」と書いたけれども、
文字通り、その発展の信頼性を担保するに足るような横断的分析がなされている。

南北アメリカ、オーストラリア、東南アジア、アフリカ、日本についての言及もあった。
(ここにヨーロッパ、そして中東が入らないのはこの時代の限界だが)
まったく恐るべき巨人であり、その肩につかまらせていただきたいものである。

学術的な誠実さと多様な実例のきらめきもさることながら
パーソンズにハーバードへ誘われた時のエピソードは
お互いの人間味を感じさせてくれていいものだと思う。

パロール・ドネ (講談社選書メチエ)

パロール・ドネ (講談社選書メチエ)

夢はメッセージとしてあらわれることになるが、発話行為とは逆に、受け手から送り手に向かって送られる(そのため他者の関与が不可避である)。いっぽう神話は、けっして送られることなく受け取られる(そのため超自然的な起源が神話には与えられている)。どの神話も以前の自分の先行者にあたる別の神話を参照しながらつくられているからである。(p.35)

失われた発話者は漂う文字と相似形であり、
インターネットミームにもそろそろ神格が与えられないかと思っている。

鷲の羽飾りなしでは、いかなる戦闘行為も正当なものと見なされないし、それなしで遠征を指揮したリーダーは、仲間の死に対して責任を負わなくてはならない。そのとき彼は、不幸な戦士としてではなく、人殺しとして扱われることになる。(p.342)

アメリカ大陸の部族についての記述だが、
この強力な表象を軸にさまざまなバリエーションが記述されていくことで
何が「戦い」と同じく重要な意味づけを与えられているかが見えて行く。

「低予算でもなぜ強い?」著:戸塚啓

ベルマーレJリーグが始まった時に「ベルマーレ平塚」という名前だったが
気づけば「湘南ベルマーレ」と名前を変えていた。

色々大変なんだろうと思ったが、この色々がなんなのかはよく考えずにいた。
別に何かのマンガの引きでもないので、それが自分の生活に関わっているとか
世界の秘密につながっているわけでもない。

単に地方の弱小チームがどのように生存戦略を作っていったか、
ということでしかない。
それだけだが、それが誠実で考え抜かれたものであるならば
魅力的な輝きをもった活動につながっていく。

大きい看板企業がつかなくても観客を沸かせてさらに強い。
悔しいけど、素晴らしい。
地域に根付いた輝く活動が津々浦々に広がるとしたら、
これほど地域創生の理想的なイメージに重なるものもないだろう。

自宅から練習に通える範囲内の子どもを育てる。育成とは、できる子どもを集めることではなく、育てることだ。(p.49)

これは提携したスペインのクラブチームから聞かされた言葉である。
当たり前のようだが、これができているところはそれほどないのではないか。

30歳前後の選手が多ければ、練習の強度に配慮が加えられる。スケジュールが過密になれば、最優先事項は体力の回復だ。(中略)将来性のある若手が伸び悩むのは、そのほとんどにおいて絶対的な練習量の不足に理由がある。(p.148)

少なくとも金銭的なメリットを提示できない中、正直にかつ誠実に選手にどういうメリットを提案できるかということの1つ。この辺の打ち出しはなるほど、と思った。

ベルマーレの足りないところには触れずに、話を盛ったり偽ったりして営業するのは、守備一辺倒のカウンターサッカーみたいだと思うんです。勝てばいいや、というサッカーと同じ気がします。そうではなくて、誠実にクラブの状況を伝える。誠実な戦いを挑む。それで負けたとしても、僕は後悔しないですし、ウチのサッカースタイルと営業のスタイルは同一であっていいのかなと思います。(p.191)

選手引退から営業に移った坂本のコメント。
3年目での言葉ということを割り引いてもこの理念の浸透具合はすごいことだ。

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」著:新井紀子

シンギュラリティはこないけど、
全体的に2段階下くらいの水準で人類はAIに追いやられるという話。

どれくらい教科書が読めないのかというのは
割と衝撃的な数値が出ていますが、
ここの間違え方はAIと違うようにできている気がします。

相手の言いたいことをとらえようとする心の動きが強く出る時に
文章以上に間違えやすくなる。
大抵そういう人は小説が創作物であることを認めにくかったり
命題の形で書かれた一般的な言及を理解するのが苦手だろうと思います。
これはむしろAIの得意分野でしょうけど。

そういう点でAIが人間を完全にシミュレートすることはないでしょう。
正答率を上げる方向に作用しないと思うので。

ただ、逆方向はありそうな気もします。
人間がAIのインターフェースとして利用されながら
人間がAIにフィットしていく方向性です。
あんま嬉しくないけど、さてはてどうなることやら。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

私たちにとっては、「中学生が身につけている程度の常識」であっても、それは莫大な量の常識であり、それをAIやロボットに教えることは、とてつもなく難しいことなのです。(p.98)

ここで僕が感じたのは生身があるということのポテンシャルと
親など、日常的に接する一定の人物がいる小さな社会の存在ですね。

AIはまだまだ孤独なのですが、これがそうでなくなるなら人間に近づくように思います。
まぁ、人間に近づける必要はそんなにないのだけど。

「都市は人なり」著:Chim↑Pom

やってやった、という手応えだけがある。
面白い本だ。

美しさよりも、もひとつ前の、面白がることに彼らはフォーカスしてる。
人が集まりより多く面白がられるその煌めきが
美しくあるのかもしれず、そのようなものであれば
僕らの日常も十分に美しいのであるのだと、
遠回りに肯定するのはこの本でしか読まない読者の私だ。

現場で単純に面白がることができた人は幸運であったと思う。

また、歌舞伎町の中でどのように街と関わったかという記録は
コミュニティアートの1つの形のようにも見えるが
同程度の熱量が高円寺の道にはない。
要するにその為に作られたのではなくて、
歌舞伎町はたまたまそうしたほうが面白かったというだけの話で
それが重要なんだろうと思う。

都市は人なり 「Sukurappu ando Birudo プロジェクト」全記録

都市は人なり 「Sukurappu ando Birudo プロジェクト」全記録

重要なのは、互いに「傷」がつくことだと思うんです。芸術祭の整理されたアートと音楽の関係とは違って、今回のような雑多な場所では、どうしても共存したものが部分的に台無しになる瞬間がある。(p.117)

文化的なポトラッチ。
そもそも文化とは捧げ物だろうから、ほとんど重言かもしれない。

溝が埋まるきっかけが面白くて、風林会館で、なぜか腕相撲大会をやることになった。そうしたら、筋肉自慢のホストたちに、Chim↑Pomの稲岡(求)くんが次々と勝っていった(笑)。それでホストたちも、「アートは高尚」みたいな認識が変わった感じがあって、「なかなかやるじゃん」と信頼してくれた。(p.119)

ありがちなエピソードのようで、
あまり現実世界では聞かない話のような気もする。
っていうか、ホストは地味に鍛えてそうだよね。

「武器としての会計思考力」著:矢部謙介

会計を専門にしてない人でも道具として使えるような
なかなかよいガイドだと思う。

語句の説明の丁寧さもさることながら
実際の財務諸表を業種ごとに見ながら
それが何を意味するのか、実践的に解説もしてくれる。

最終的にKPIへの落とし込みの話までしているので
事業に役立つ会計を意識している。
表題の「武器としての」というのに偽りはないだろう。

ただ、あえて言うとすると、
前半の分析パートと後半のKPI導入の流れで言えば
後半のほうでは運営指標の作成なんかは
まだ掘り下げてほしいという気持ちもある。
それ単体でべつの本になりそうなので、
まぁ、ここまでで十分なサービスとは思うけど。

武器としての会計思考力 会社の数字をどのように戦略に活用するか?

武器としての会計思考力 会社の数字をどのように戦略に活用するか?

オリエンタルランドは確かに高い利益を上げることができているのですが、その一方で、実際にパークに行ってみたときの経験も踏まえて考えると、パーク内が混みすぎて、顧客満足度が低下している可能性がありそうです。言ってみれば、オリエンタルランドは利益が「出すぎている」状態なのです。(p.89)

ほう、そういう見方もできるのね。

過剰なキャッシュを保有するということは、それだけ余分な資本コストを抱えていることを意味します。
「キャッシュはコスト」という考え方です。花王では、EVAを導入することで社内に資本コストの意識を浸透させ、余分なキャッシュや在庫を削減することの意味を明確化したのです。(p.192)

たしかにその通りなんだけど、
資本コストに対する利益率を検討できる企業というのはその前に
まぁまぁ健全でなくてはいけないよね。レベルにあった指標が大事。

「求心力」著:平尾誠二

こちらの本はあまりオススメできない。
「勝者のシステム」のときにあくまで体験から帰納的に話をすすめていたのが
先に答えを持ったところから書いてしまっている。

そしてその答え合わせにこのような経験があった、というが
それは順番が逆なのだ。

ただ、集団のトップに立つ者として何に悩んで来たかは分かる。
トップの気持ちの一端を知るという意味合いでは読める本だ。

つまるところ、集団を動かしたいのに、
どうするのがより効果的に動かせるのかは
誰も確信を持ってできないってことだ。
権限があるゆえの悩みとは言え、使われる側としては
そこに何を乗せると互いのアウトプットが高まるか考えてもいいだろう。

求心力 (PHP新書)

求心力 (PHP新書)

ラグビーにおいてはキャプテンという存在は、ほかのスポーツに較べると非常に重要とされる。その役割を、私はコミュニケーションの不安がある外国人に託したのである。(中略)
「果たして円滑なコミュニケーションが図れるのだろうか?」
しかし、それは杞憂に終わった。むしろチームの親密度は高まり、雰囲気もよくなったほどだった。
なぜかーー。ひとことで言えば、ほかの選手がマコーミックの言葉を真剣に聞こうとしたからである。(p.29)

結局はこれです。
話を聞くに値する相手かどうかが、
リーダーシップということでは最大の問題で、ほとんどそれで片がつく。

何故そう思われるに値するかは個別の状況があるけど、
同じ組織にいるから具体的な行動でしかない。

「スペクタクルの社会」著:ギー・ドゥボール 訳:木下 誠

戦うために戦う文章の連なりであり、
現象のまま、道連れに消え去ろうとする試みだ。

脱構築へと連なる流れの実践的な潮流がここにはありそうだ。
消費的なシュミラークルのお話かと思うと、それよりも
より広い視野のある本ではある。

ただ、戦う衝動が強すぎて、
不明瞭な敵を映し出していないかとは思う。
ガラスを殴れば自分の拳を怪我するだけだ。
傷ついた時に、それを敵の反撃だと言うのは愚かしい。

無数の断章としてきらめく知性は
いかにもツイッター中毒になりそうな感じである。

巻末に本編に劣らない解説がある。
20世紀後半に確かにあった人々の熱気が見えてくる力作だ。

スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫)

スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫)

権力を握った全体主義イデオロギーは、逆転した世界の権力である。この階級は、自分が強力であればあるほど、それだけ強く自分が存在しないと主張する。(p.92)

おそらくそうだろう。
しかし、これを暴こうとするとき、こちらも神話的な戦いを挑むことになる。
つまり、人は敗北する。(英雄は例外である)
ならば、事前に叩き潰す以外にない。

時間とは、ヘーゲルが示したように必要な疎外であり、主体が自己を失うことで自己を実現し、自分自身の真理となるために他のものになる環境である。だが、疎遠な現在を生産する者が被っている支配的な疎外は、まさにその逆である。(p.149)

曰く、超人化を防ぐために時間が個人から奪われているのだ。
ここで、「誰が?」と問えば戦争になる。しかし、その敵は本当に敵なのか?

僕は博愛主義的に行きたい。