「ひとり暮らし」著:谷川俊太郎
言わずと知れた谷川俊太郎であるが、彼の詩作はとても軽やかで
なんだかとらえどころがないように感じられたりもする。
そんな著者の生活を垣間見せてくれるエッセイである。
詩人としての言葉に対する姿勢の向け方もさることながら
感覚に対してできるだけ明晰かつ分析的であろうとするようなところがあって
それははっきり言葉にしようということではなくて、
輪郭をなぞるようにはしていても名指すことにさほど興味のないような感じがあります。
名前をつけることは出来事をある箱に放り込むようなところがあって
著者はそうした乱雑さとは慎重に距離をとっているように思います。
しかし、そういった態度を自分の人生の後半に差し掛かって
その感慨までも同じ態度で触れられるのは
さすがであるというか、徹底した凄みを感じる点でもあります。
目前の一輪の花の精妙な美しさに驚きと畏敬を感ずるとき、それに名前をつけるという行為が、どこか自然に対する冒涜とも思えることが私にはあります。(p.125)
という「言い訳」で花の名前を覚えられない、というお話。自分でそういう言い回しをするところは茶目っ気がある。
他者を相手にして仕事をしている自分と、こうしてひとりでよしないことを思う自分と、どっちも私だが、どっちによりリアリティを感じるかと言えば、何もしなくていい今日のような日の自分だ。(p.229)
詩人らしい言い回しかもしれないけれど、ここに書かれているのは晩秋といった趣であって、
このような人生の後半戦であれば上々であろう。心に留めておきたい。