ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「文字移植」著:多和田葉子

これは翻訳についての物語であるとともに
男性ではない女性についての物語である。

もしくは、距離についてであり、渡ることについてである。

島に行って翻訳の仕事をする主人公は
優雅な身の上と言っても差し支えはない。
ないけれども、とても憂鬱である。

翻訳がうまく進まないし、
嫌な感じのするバナナ園は近づいてくるような気がするし。
マジックリアリズムのような空気を漂わせながらも、
気配だけでそんなことは何も起きない。
それには翻訳では足りないのである。彼らの秘蹟には届かない。

本書のタイトルは初出時には「アルファベットの傷口」ということであり、
「文字移植」と聞くよりいくらか生々しく感じる。
「移植」は翻訳、あちらからこちらへ、ということについてを示唆するが
「傷口」には境界の侵犯、そして個人的なもの、が喚起されるだろう。

傷と、それに伴う痛みは常に個人的なものである。
いかに翻訳してもあなたのものになることはない。バナナ園はプランテーションの歴史を持っていて
直接的に現れないもののここにも傷ついたものがおり、
当初はそこに連帯の意図を持って書いていたと思うけれど、そのような着地にはならなかったことを
僕は彼女が誠実に書いたからこそだと思う。

ところで、本編はとても良いのですが、
解説がまったくフェミニズムの文脈に触れないのでびっくりした。
まぁ、わからなさの方が本書には大事かもしれないけども。

<ああドラゴン退治の伝説ですが。でもどうしてそんな話をわざわざ選んだんですか。まあ普遍的ではありますよね。>と編集者はあの日の電話の声の感じではあまり興味をもっていないようだった。<聖ゲオルグが登場してドラゴンを殺してお姫様を助けるわけでしょう。まあその英雄が実は臆病者だとか実はドラゴンが不在だとか現代風にしてあるんでしょうが。あるいは戦うのはお姫様だとか。そういう話はありそうですね。こう言うのも何ですがフェミニズムの時代ですかららねえ。>わたしはまるで侮辱でも受けたようにあわてて反駁した。<いいえ。そんなこと絶対にありません。本当に聖ゲオルグが出てきてドラゴンと戦うんですよ。お姫様だって現代風に書き換えてなんかありません。わたしそういう風に書き替えるだけで簡単に解決してしまうのは嫌いですから。だからこそわたしは書き替えることでなくて翻訳することを職業に選んだんじゃないですか。>(p.40-41)

長い引用になってしまったが、思いの外核心の部分だと思う。これは現在位置を明確に示している。
そして、このお話はここからの逃走であり、それが闘争である。

余計なお世話に助けられることもあるし、いらない善意もある、
そんなにいちいちかまってられやしない、ってのは女性に多くあるにせよ、人間にはあることだ。
だから、やいやい言われても走れば、置いてけぼりにしていけばいい。
最終的にはそんなシンプルな力強さがある。
なんだか今改めて眺めるとスキゾキッズのラストを思い出すような気がする。