ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「ミャンマー現代史」著:中西嘉宏

いまや、ウクライナの方が耳目を集めてしまっているが
ミャンマーは2021年2月に非常事態宣言を出した
軍事クーデターのあとそのままである。

今朝の朝刊では総選挙も回避して現状の暫定的な軍事管理政権が続きそうだという見通しをみた。
予断を許さない状況で、東南アジアという地理的条件をからすると、
ウクライナよりも日本にとってより当事者としての立ち位置が強く現れる問題であろう。

本書はそのクーデターの一年半後に出版されており、
クーデターの起きた背景を説明してくれるものである。

第二次大戦後からミャンマーの歴史を見ると民主的な政党政治が行われていたのは
ごく限られていて、軍が政治に強く関わってきたということが見える。
軍自身も自らを国家を体現するものとして振る舞おうとするようなところがあり、
むしろスーチーが表舞台に立てたことの方が端的に希少なことだったということが言えそうだ。

また、135もの土着の民族があって、
主要民族であるビルマ人が68%と多数派を占めているものの
地形的要因で区切られた地域ごとの自治の傾向が強い。
彼らの独立活動の動きというのがあると、
軍隊というものはそれ自体を権力の源泉にしてしまうだろうし、
軍に反抗する勢力も一枚岩とは言い難い構造になってしまう。

そして、こういう独立活動という話は管理者側から見ると
外国勢力がどの程度関与しているかということにも神経を使っているはずで
とどのつまり、彼らは疑心暗鬼ゆえに閉じ籠りたいのだと見える。

たとえば、中国は大きなパートナーだが、そこだけの援助に偏らないように
ロシアを入れてバランスを取ろうとするような動きに現れる。

この本の中で、具体的な方策が示されるものではないけれど、
ミャンマーが抱えている問題をより具体的に見るにはよい本だと思う。

軍にとって国家顧問ポストの設置が脅威に映ったことはいうまでもない。こうしたことが繰り返されると、憲法改正に実質的な拒否権を持つ軍の権限の意味がなくなってしまう。初っ端からスーチーはレッドラインを踏み越えたのだ。(p.140)

民政化までの道のりが長かっただけに、
スーチーも急いでしまったところはあったようだ。
それにしても同じく国の中で互いに譲れない仇同士になってしまうというのは、
ひどくつらいことのように思う。特に中で暮らす人たちがあんまりである。