ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「酔っ払いの歴史」著:マーク・フォーサイズ 訳:篠儀直子

人の振る舞いほど興味深いものはない。それが酔っ払ってるならなおさら。
絡まれずに観察だけできるのはこちらの本です。

酒の歴史でなくて酔っ払う人の歴史というのは面白い着眼点。
確かに、サッカーボールの歴史も興味深いが、それにも増してプレーの方が気になるもんね。

厳密で網羅的な歴史でないことはあらかじめ断られているけれども
実際のところ、「振る舞い」なんてのは形に残りにくいから余計に難しいのも仕方あるまい。
ただ、その困難な旅の中でもこの著者のユーモアは活発に動き回り
いくらかの皮肉(イギリスっぽく少しブラックだ)をともなって
ぐいぐい引っ張ってくれる。

エピソードはどれも意外性を持っていて
ついつい人に話したくなりそうなものが多い。

ひたすらべろべろに酔わせてから
ご来光に合わせて神官が叩き起こして
神の顕現を感得させるエジプトの儀式とか、
家に呼んで友達同士で飲み会だと思ったら、
あからさまに客人にランクづけがされて、
最下位のものは呼ばれたのに無視されるローマの話とか、

(あ、これは席順もちゃんとあって日本だけの風習じゃないんだと思ったり。)

もちろん、禁酒法のバーの話もあります。店内で銃を撃たないで。

つまみ食い的なトピックの選び方だけど、それでも
アジアからは中国、中近東でシュメール、エジプト、イスラム
それからアステカにオーストラリアなどそれなりに幅広くエピソードは取られている。

いろんな付き合い方を試してきたけど
結局縁は切れないお酒の歴史。
その試行錯誤の様子はルールと無法のあいだを行き来する
あまりにも人間らしい姿となって立ち現れる。
とても楽しい冒険でした。

人になる以前、われわれは酒飲みだった。アルコールは自然に生まれる。ずっと前もいまも。四十何億年か前、生命が誕生したころ、原始スープのなかでは単細胞生物がのどかに泳ぎまわり、単純な糖を食べてはエタノール二酸化炭素を排出していた。実質的にビールを排泄していたわけだ。(p.13)

これが書き出しである。いかに優秀なほら吹きであるかが分かるだろう。

ソクラテスは大量に酒を飲んだが決して酔わなかった。魂が非常に秩序立っていて、飲んだところで露わになるのは彼の合理性だけだったのかもしれない。あるいは怪物的に有能な肝臓を持っていたのかもしれない。いずれにせよ飲んでも酔わないという変な理由から称賛される、多くの男たちの先駆けが彼であるように思われる。(p.70)

これなんかはちょっとブラックですね。
酔いを愛する著者はこの後に「じゃぁなんで飲むんだ」と。なるほどね。