ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「リベラルとは何か」著:田中拓道

現代においてリベラリズムは政治的に苦境に立たされていることは間違いなく
これは日本だけでなく世界的な潮流であることが、
右派ポピュリズムの各地での湧き上がりを見れば分かる。

本書はここにリベラルの成り立ちから確認しつつ、
いかにしてこの隘路に追い詰められたかを検証し、
そしてそれを打開するための方法の手がかりを模索するものだ。
(局所的な話としてとらえないのは美点ですね)

自由放任からの福祉政策としてのリベラルから
新自由主義というのはおおまかに理解していたが
ワークフェア競争国家という用語は興味深い概念だった。
ウェルフェア(福祉)とかけた言葉ですね。

要は単に小さな政府を求めるというのではなくて、
「人々を市場へと導引する国家の強力な役割」を果たそうとするものらしい。
(そんなのが現れていたら「働いたら負け」という言葉も出るよね。)
福祉政策は保持されるが、それは就労に結びつく場合に限って、ということ。

その名称の中に競争と入っているのは国際競争の環境下を意味しており、
この勢力の考え方はある点では自然に現れるべくして現れたと言ってもいい。

一方で、この思考の中には自由は加味されておらず
権利は条件付きであるように振る舞う。
現実的なリソースの話がそうであるのと、目指すべき場所についての話を分けて考えるなら
彼らに対抗勢力としてのリベラルはやはり必要である。

万能の解決策があるような話ではなく、華々しい結論があるわけでもないが
現在の政治的状況を整理する助けにはなってくれるだろう。

格差の拡大によって社会不安が高まると、新自由主義政権が頼ったのは、保守的な道徳だった。ハーヴェイらが指摘するとおり、個人の選択の自由という新自由主義の原則と、個人を超える集団の権威や伝統を強調することは、本来相容れないはずだった。ところがサッチャーは、福祉に依存する貧困層を道徳的な失敗者というイメージと結びつけ、勤勉の道徳と家族による相互扶助の美徳を強調した。(p.51)

本邦でも覚えのある挙動である。
自由と保守はこのように結びついた。

制度が選別的であればあるほど、市民の間の連帯感情が弱くなり、「我々」と「彼ら」という線引きが生まれやすい。弱い立場になりやすい移民は、福祉にただ乗りする「彼ら」だという意識が強まりやすい。一方、制度が普遍主義的であるほど、中産階級を含めた広い人々が福祉の受益者となる。「我々」と「彼ら」という線引きが生まれにくいため、排外主義は相対的に弱くなっていると考えられる。(p.146)

この考察から導かれるのは弱者を選別して保護するような政策であるアファーマティブアクションなどは
より弱者を孤立させるおそれがあるということであり、
大きな枠組みで社会保障と福祉を作っていく必要があるということだ。

簡単なことではないが、理想は目ざなければ進むこともない。