ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「職業としての小説家」著:村上春樹

出たのは少し前かとは思いますが
すでに功なり名を遂げた人物の
ありがたいお言葉集ですよね。それは避けられない。
こんなにカッコつけて写真をつけてそれは避けられない。

しかし60も後半にきているのにこの写真のふてぶてしい感じは
自分のパブリックイメージを知ってても知らないフリを突き通す
小説家らしいフィクションに塗れた在り方ですね。

とまぁ、知ってはいたけど春樹のこと僕は大嫌いなんだなぁと思うわけです。

ただエッセイの出来としては悪くない。
職業としての、と書いてるけど規範ではなくあくまで春樹個人が
具体的にどのようにして書いてきたか、はぐらかさずに書いてる。

海外展開する際の流れも克明でわかりやすい。
もちろん、とりわけ個別的な職業なんだから、
春樹にとらわれず好きにやったらいい。
いや、誰しも個人的な人生だから好きにやったらいい。
この本は多分、そういうことを確認したい年頃にちょうど良さそうではある。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

どの作品をとっても「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」というようなことはありません。もしうまく書けていなかったとしたら、その作品を書いた時点では僕にはまだ作家としての力量が不足していたーーそれだけのことです。残念なことではありますが、恥ずべきことではありません。不足している力量はあとから努力して埋めることができます。しかし失われた機会を取り戻すことはできません。(p.159)

謙虚さよりは、ぎりぎりと角張った矜持を感じる。

河合先生の駄洒落というのは、言ってはなんですが、このように実にくだらないのが特徴でした。いわゆる「悪い意味でのおやじギャグ」です。(中略)それは河合先生にとっては、いわば「悪魔祓い」のようなものだったのではないかと僕は考えています。(p.303)

なんというか、他の人間がとりわけ取り上げられるのはこの章だけで
河合さんの大きさというものを感じると同時に、
春樹が日本にいる理由なんてほとんどなかったんだろうとも思う。

「悪魔祓い」ね、屈伸みたいなことだろうが、
社会の悪魔祓いはどうやったらいいんだろうかねぇ。

「物質をめぐる冒険」著:竹内薫

入門書というよりは、概説書という感じ。
幅広く最先端の概略を教えてくれるし、おおまかな
トレンドというものも見せてくれる。

ただこういうのって、
文系的ストーリーとしてたまたま見えているものもあるので
普通に研究する人にとっては予断になりそうな見方だなぁとも。

一般的な読み物としてはこれくらいでいいけど
きっと実際のところはこういう読み物は
なので定期的アップデートが欠かせないはず。

そういう意味では永遠の門外漢としては
ざっくりした憶測も含めて読んでおくのは
逆説的に悪くはない。


物質をめぐる冒険 万有引力からホーキングまで (NHKブックス)

物質をめぐる冒険 万有引力からホーキングまで (NHKブックス)

そもそも物理学と数学で「厳密に計算できる」場合は、意外と少ない。(p.59)

これは不可能を言っているというよりは、
誤差を把握しながら実用上は概ね対応してきたということなんだろうと思う。

不確定性原理のおかげで原子はぺしゃんこにならない。
言いかえると、ふつうのモノが潰れないで存在する理由は、量子がもっている不確実性にまでさかのぼって理解することができるのだ。(p.115)

なるほど、面白い説明。レヴィナスの「イリヤ」存在に関する概念をちょっとだけ思い出す。

「ユーゴスラヴィア現代史」著:柴 宜弘

ユーゴスラヴィアは東欧にある、いや、あった国だ。
ユーラシア大陸の文化圏が重なるような地域で、
ややこしい地域だという知識しかない。

この新書は19世紀からのその国の揺れ動きを丁寧に追ってくれている。
これは一重に読者の力量不足ではあるが、
正直読んでも何かが分かるという程分からず
「やはりややこしい」という認識にはなる。

大きな帝国のせめぎ合いよりも
むしろ前景にはセルビア人、クロアチア人、ムスリムの3つの
アイデンティティのもつれ合いがある。
はっきり言ってこれを簡略に示すということは
歴史を無視するようなものだろう。

ただ一つ読み終えて気づくのは
タイトルに著者の気持ちがあることだ。
すでに存在しない国名を掲げることで
儚くも確かにあった共存の面影を残そうとしているのだ。
ただの無念さではない。歴史は過去のものだが今を生きる人間が読むものだ。

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

クロアチアの歴史教科書が、統一国家の建国によってクロアチアの「国家性」を奪われたとしているのは特徴的である。(p.62)

国家性の剥奪というのはそれほど特異なケースではないだろう。
ただ、国家性が必要不可欠であるかは外野からは常に疑問が提示されてしかるべきだろう。
この熱の差異も余計に関わりが難しい。国民国家とは難儀な発明だ。

この「ユーゴスラヴィア人」という民族概念は、自主管理社会主義体制のもとで既存の民族を越える新たなユーゴ統合の概念として、共産主義者同盟によって提案され、導入された。旧ソ連における「ソ連人」と同様の概念であった。(p.163)

国民のアイデンティティから積み上げて国家になるパターンはおそらくもっとも現代的なものだ。
むしろ、国から枠組みを作ってそこの中にいる人間を抱え込んで命名する方が古い。
そのバリエーションとして主権者による主権者の自己規定がモダンなんだろう。
極めて近代的である。自由・平和・愛どれも古くなってしまった。

「ロゴ・ライフ 有名ロゴ100の変遷」著:ロン・ファン・デル・フルーフト

世界中の会社のロゴを会社の草創期から変遷を眺められる本。
こういうのは単純に目に楽しくてよいですね。

会社それぞれのマークの意味の解説での雑学的面白さはもちろん、
マークが変わっている時の時代の雰囲気もなんとなく感じられるのがいい。
少し前まで立体感やメタル感が強かったのに、
直近ではむしろマットな印象が前面に出ている。

これは個人的な話だけども
小さな頃にWWFのマークが微妙に変わってるのを発見して
偽物じゃないのかと疑っていたんだけど、
あれは見間違いでも勘違いでもなく、実際に変わってたようだ。
30年越しにほっとした。

ロゴライフ 有名ロゴ100の変遷

ロゴライフ 有名ロゴ100の変遷

世界最高のカメラを創るーーその志のもと精機光学研究所、現在のキャノンが創業されたのは1933年のこと。(中略)初代ロゴのモチーフは千手観音だった(ノンブル不明)

ストレートに千手観音っていうか、デスメタル的なロゴでした。わお。

「ヌンク・エスト・ビバンダム」(いまこそ飲み干す時)というキャッチコピーでタイヤ人間のポスターを製作、ここにミシュランマンが誕生する。「乾杯」や「飲み込む」という意味のラテン語ビバンダム」には、道路のどんな障害物をも飲み込む強いタイヤというミシュランの考えが込められていた。(ノンブル不明)

ミシュランがなんで、グルメしているのか初めて理由がわかったよ。

「飛魂」著:多和田葉子

未知の世界は楽しい。
初めていく街の標識の形にも驚くことができる。
曲がり角から漂う香りであったり、聞こえてくる知らないイントネーション。

飛魂は中国風の道具立ではあるが、
あくまでファンタジーの世界であって、
知らない植物が生い茂り、知らない食べ物を食べている。
しかし、それが読みづらさを感じないのは
漢字の字面をとらえて文中に馴染んでいるからだ。

二度と呼ばれない不明な固有名がそれがとても楽しく、
森の奥深いところにある学舎の、
霧立ち込める空気感の陰影を印象的にしてくれる。

掌編も悪くはないが、
彼女の場合はそれなりに長くないと
イデア一本勝負に見えてしまうような気がしてもったいない。

また、最後に著者から読者へというコラムがあり、
肩肘張らない作者の愉しみが伝わってよかった。

飛魂 (講談社文芸文庫)

飛魂 (講談社文芸文庫)

人の頭の中はどうやら、本のページや書架のようにはできていないらしい。五日間、雨が続いて、六日目に晴れれば、その日の光は五日という時間の尻尾に置かれるのではなく、濡れ曇った五日をひとまとめにして逆光の中に球状に浮かび上がらせるのだ。書物を朗読する時には二行を同時に読むことはできない。行を下から上へ読むこともできない。出来るのは、繰り返し読むことだけである。読んでいるのが自分なのか他人なのか分からなくなるまで、繰り返し読む。(p.33)

言葉は肉感的に、また逆に身体は不安定に。

あなたが読んでいると意味が全然違って聞こえる、意味の不明な意味が不明のままに立ち上がる、と何人かが言い始めた。(p.36)

これはまさしく著者の企みだろうが、
ここでは「音読された言葉」たちの霊力が現されているのであって
もっと潜在的な書の、書棚に秘められたままの虎はいまだ現れない。

「ロスチャイルド家」著:横山三四郎

ユダヤ人の陰謀だとか言う時には
ロスチャイルドがどうたらなどとくっついてくるものですが
実際のところはあんまり知らないもので読んでみた。

古物商というか、古銭を扱う商人として貴族に入り込んでいって
1代で足場を築いてのち、息子たちがヨーロッパ各地に散らばり
金融と情報ネットワークを確固たるものにするスピードは驚異的なものだ。

才覚は当然あるだろうが、時代背景として
産業革命から資本主義の萌芽の流れにうまく乗っていったのも大きいように思う。
実際、楽天の三木谷は一代で銀行を含む企業グループを作っているし、
こうした資本の蓄積スピードは時代が下る程早くはなっている。

政治との癒着関係というのも気になるところだろうが、
たしかに、ロスチャイルドが興った初期は貴族が居たが、
民主制が発展するほど、資本家が関与できる範囲は政体そのものから
政治家個人の単位へと限定されていく。

また、先に述べたように資本は今の方が流動的な動きをするようになっており、
ロスチャイルド銀行は突出した存在などということはない。

ただし、今もクローズドで家族的な経営主体を貫いているのは特色としてあるし、
ユダヤ人のための活動に陰に陽にと携わることはあるだろう。

しかし、文中で特に印象的だったのは
グローバルな資本であるゆえに紛争を防ぐために奔走する姿である。
それは資本主義のポジティブな要素のひとつとしてとらえていいだろう。

ロスチャイルド家 (講談社現代新書)

ロスチャイルド家 (講談社現代新書)

五人の兄弟が密着している肝心の国家がそれぞれ利害を異にして角突き合いを始めたためである。国境を越えて繁栄しようとするロスチャイルド家の利益は、国境という鎧を着けてその目的を追求する主権国家の利益とは必ずしも一致しない。その矛盾が表面化したのである。(p.81)

後段で保守的な勢力としての側面が非難されたともあるのだが、
それでも、殺さない、破壊しないという方向性は支持できる。

ぶどう園を隣り合わせに持つパリとロンドン両家の冷たい関係は二〇年も続いた。そして、一九七三年、ついに格付けの再検討(ボルドーメドック地方)が行われ、ムートンは第一級に格上げされた。ほかの多くのワインについても検討されたのに、変更されたのはムートンただ一つだった。ロスチャイルド家の政治力が大いに発揮されたことは確かとみられているが、ともあれ半世紀にわたって土壌の改良と品質の向上に努めてきたフィリップ男爵の努力は報われ、ロスチャイルド家はついに二つのプルミエ・クリュを手中にしたのである。(p.30)

なんというか、
この負けず嫌いの感じは人間味があっていいエピソードと思う。
また、この競争関係が同族会社の中にあって活力を生んでいるんだろう。

「KPIマネジメント」楠本和矢

KPIというと意識高い系みたいな感じで気恥ずかしいのですが
組織の中ではある程度こいうキーワードを共通語にしながら業務を進展させるのが望ましい。

しかし、KPIという言葉だけでは無意味で
各社においてKPIが何に当たるのかを明確にして、
そこを共通のターゲットにしていくことが必要だ。

この本では概念の基本的な説明から
実際に導入した企業の実例の分析もしっかりしており
導入からブラッシュアップまで一通りの射程を持っている。

特にうまくいかなかった場合にどのような落とし穴がありうるかも説明がある点は
この本の実用的価値を高めていると思う。

どのような場合でもKPIはあくまで測定できる指標の一つであって
「あるべき姿」につながる「ストーリー」の中に位置付けられて初めて効果を発揮する。
ストーリーの練りこみと、チェック時にお手盛りのストーリーでなかったかの再確認、
この辺にコストをかけるのがひとつのポイントなんだろう。

人と組織を効果的に動かす KPIマネジメント

人と組織を効果的に動かす KPIマネジメント

事例はレアケースであってもよい。仮に類似のものがない、n=1のケースであったとしても、それがどのような心理メカニズムによるものかについて推論を進めていくと、実は汎用的に展開できるヒントが隠れていることもよくあるからだ。(p.72)

これはなかなかハッとさせられる視点ではある。
しかも、こういうレアケースを汎用化するプロセスの中でこそ
差別化への推進力が発揮されそうな気がする。

まだ見えていない相手の心理、即ちインサイト(隠れている感情、本音など)を辿ってみる。そのインサイトのレベルで見てみると、実は同じ理由から複数の課題が生じていると気づくことが多い。まさにそれこそが攻略すべき点、作るべき「あるべき状態である」(P.68)

逐次的な対応ではなくて、
より波及効果の高いポイントを探すのが
マネジメントという職務の根本でもあろう。