ヨモジジ(freaks ver.)

本と雑貨と音楽と、街歩きが好きなオッサン。1981年生まれの珈琲難民が好き放題に語る。レビューのためのブログ。

「人間の建設」著:小林秀雄・岡潔

評論家と数学者の対談ではあるが、
どちらも思考の基礎としての哲学の色があるので
さほど遠くない2人とも言える。

どちらも好き放題にしゃべっているが
どちらかというと岡の方が放埒で
小林がそれを受けたり、なだめたりするといった趣。

人間の建設とは教育ととらえてもかまわないだろうが、
一方で人間の部分を「文明」と置き換えてもよさそうで、
大きなものを設計しようとしている。

お話はとても興味深く拝見するのであるが、
近代最後の偉人として記憶し、僕はここからはもはや離脱していると感じる。

我々はもはや何かを建設することなどあるだろうか。
ただただ、海にインクを落とすような情緒だけが確からしく思える。

私は絵が好きだから、いろいろ見ますけれども、おもしろい絵ほどくたびれるという傾向がある。人をくたびれさせるものがあります。物というものは、人をくたびれさせるはずがない。(p.17)

物に対する信頼。これは世界の手がかりでもある。
後段で神経の苛立ちを売っている絵描きと自然のままであることの美しさが語られる。
いまや自然をこのように自明に語ることができるだろうか。

世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情はわかるが、自他の別は感じていない。時間という概念はまだその人の心にできてない。ーーそういう状態ではないかと思う。(中略)だから時間、空間が最初にあるというキリスト教などの説明の仕方ではわかりませんが、情緒が最初に育つのです。自他の別もないのに、親子の情緒というものがあり得る。それが情緒の理想なんです。(p.108-109)

ゼーレのシナリオかな?というのはさておき、自然に対する信頼と隣り合わせのようなユートピアとしての情緒。
ただ、こういうところに内容が存在すると言う感覚はかなり核心を付いている。
この「情緒」という観念は岡のもので
数学者として考えた挙句にここに辿り着いたということは興味深く思う。